臼井城の支城:師戸城(もろとじょう)
臼井城址公園(臼井城)の北、印旛沼を挟んだ先には支城である師戸城があります。(2009年8月の登城)。築城年代は定かでないですが、臼井城の支城として14世紀(鎌倉末期ごろ)に築城されたと考えられ、「臼井家由来抜書」によれば、臼井四天王のひとりであった師戸四郎が居城していたといいます。戦国時代には臼井城・師戸城は原氏一族の支配となっており、16世紀中頃に現存の形になったと考えられます。
師戸城の遠景。現在は県立印旛沼公園として整備されています。
1566年、上杉謙信の臼井城攻めにもその猛攻を防ぎました。1590年、豊臣秀吉の小田原攻め支城戦では秀吉勢の徳川軍が攻撃。臼井城と共に落城(5月10日)、千葉氏最後の本拠地、本佐倉城も落城(5月18日)し、領主であった千葉氏・原氏は小田原北条氏とともに滅亡します。
同年、徳川家康家臣・酒井家次が3万石で臼井城入封しますが、1593年に城内で火事、1604年には酒井家次が上野国高崎藩に移封となったので臼井城は廃城となります。
師戸城は、県立印旛沼公園として整備
臼井城を守る支城には小竹城、志津城、岩戸城もあるので鉄壁の防御態勢です。臼井城から師戸城までは64号線の一本道。船戸大橋に差し掛かるとロクな歩道がなく、通過するトラックに恐怖を覚えます。おそらく昔は船で行き交いしていたのでしょう。
師戸城への登城
橋を渡り終えると、師戸城がはっきり見えてきます。
師戸城の東を流れる川も、天然の要害だったのでしょう。
師戸城は県立印旛沼公園として整備されており、ここからが公園入口です。
公園入口(北側)から駐車場までは急坂コースです。空堀、土塁、曲輪がそのまま残されており、城郭を留めた公園化がされています。
師戸城跡模式図の案内板。師戸城は南側の印旛沼へ張り出した台地の南端に築かれています。最南端に本丸があり、直下は印旛沼ですが、現在は少し埋め立てられています。
深い空堀が巡らされ、本丸、二の丸、三の丸、道場台の4つの曲輪で構成されており、東西で本丸と二の丸が並んた城郭です。道場台には芝生広場と遊具が設置されたちびっこ広場、空堀を挟んで三の丸が野球場、二の丸が展望台。本丸は芝生広場です。道場台の北側の坂道は、竪堀を利用したものではないかと思われます。虎口は東側にありました。南側に腰郭があって水神が祀られているといいます。
昭和40年代に西部は土取りのため破壊され、「土もり跡」と記されています。土塁には望楼跡と思われる箇所がいくつかあります。根古屋では反町と呼ばれ、弁財天、こうふく寺跡、釣り鐘井戸の伝承地があるそうです。また戦死者の墓もあるといいます。
堀跡
師戸城の空堀は臼井城に負けない規模を持ちます。空堀が部分的な遺構ではないので、当時の城郭がはっきり認知できるほど保存状態が良好です。登城の際は三の丸(自由広場)周辺の空堀を歩いて回ることをお勧めします。
かなり急峻な勾配の堀。薬研堀でしょうか。
8月の登城ですが、草を刈っており整備も良好です。
城郭の意識がない人からすると、アスレチックだと思ったそうです。
本丸と二の丸
台地の最南端にある本丸と二の丸跡。展望台は二の丸に位置します。
師戸城二の丸の展望台から、眼前1.5km先に本城である臼井城を眺めます。先ほど渡ってきた船戸大橋も見えます。
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出典-日経コンピュータ 2019年8月22日号 顧客満足度調査より