


磐城 守山城(陸奥国)
福島県郡山市田村町守山にある守山城へ行った(2014年12月)。平安時代初期、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に築城したのが始まりと伝わる。南北朝時代まで、坂上田村麻呂の子孫である田村庄司氏の本拠地となった。永享の乱(1438年~)が起こり、鎌倉公方勢によって田村庄司氏は没落する。その後、三春田村氏が本城としていたが、三春城へと居城を移した。
※三春の田村氏は田村庄司氏の同族ではない。
守山城の二の丸と三の丸の間にある堀跡。幅25mの規模が残されている。
堀跡には長さ70m、高さ6mに渡って石垣が積まれている。石垣は野面積み(古式穴太積み)となっており、大小の自然石を重ねて、大石の隙間には小石を積み上げる技法である。
平成12年から15年にかけて発掘調査が行われ、堀跡、石垣、礎石、16世紀後半から17世紀始めごろの陶磁器が確認されている。郡山市内では、石垣を持つ城跡はこの守山城だけだという。
田村氏が三春に移ったあと、南奥州を制圧した伊達政宗の支配するところであったが、1591年には奥州仕置により蒲生氏郷の領地に変わり、会津若松城の支城となった。このとき、蒲生氏郷の家臣、田丸具直が守山城の城主となっている。1598年に上杉景勝の領地となると、家臣の須田長義、本庄繁長、竹俣利綱が城主となっている。
1600年には蒲生秀行の領地となり、家臣の蒲生郷成が城主を務めている。1609年には蒲生郷成が浪人となるため、守山城の石垣は1591~1609年の間に構築されたと考えられている。そして、1615年の一国一城令によって守山城は破城されたと思われる。
守山城 城郭散策!二の丸
先ほどの石垣の上の平場が二の丸であり、現在は畑になっているようだ。
堀跡の向かい側(守山小学校方面)にも二の丸の城塁が残っており、石碑が建っている。こちら側の堀は埋め立てられており、小学校への道となっている。
本丸~城山八幡神社
二の丸のすぐ東側、城山八幡神社のある高台が、本丸跡。二の丸と違って石垣は確認できない。
城山八幡神社の背後(東側)はかなりの切岸になっており、攻めこむのは厳しい。自動車道に出て神社の背後を確認したが、かなりの藪であり立ち入れる場所ではなかった。
神社境内の様子。周囲に土塁が確認できる。
三の丸~守山小学校
本丸から見た三の丸跡。現在は守山小学校である。
守山小学校は曲輪の上に置かれていることが分かるが、城塁はコンクリートで固められてしまっている。ここの堀跡は畑か荒れ地かという印象。
守山小学校の北側にある堀跡。舗装された一般道となっている。このあたりは曲輪と思われる地形に民家が建っているケースが多い。守山城の出城がいくつかあるような雰囲気だ。
その他、遺構
城山八幡神社の北側は、城ノ腰という地名だ。地図をみると池があるので川沿いの道を歩き、探索してみた。池の水は干上がっていたが、守山城の水掘跡なのだろうか。出丸のような遺構も感じられる。
磐城守山駅のすぐ西に愛宕神社があるが、守山城の砦に使われたのだろうかと推測する。
谷田川から分岐する2つの川の間(河岸段丘)に守山城は位置する。
田村町守山の中心地ゆえ市街地化され、明確な縄張りを確認することができない保存状況であるが、二の丸の石垣跡だけは見応えがある。それにしても、会津若松城の支城として残されたくらいなので、この辺りではかなりの規模の城であったと思われる。後世に歴史を伝えるため、縄張りを明確に残すべきだったのに誠に残念なことだ。(ここじゃなくても、土地がいっぱい余ってるでしょ・・と言いたい。)
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