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下野国塩谷郡を支配した、塩谷朝業が築城

塩谷氏の居城、川崎城

平安時代末から戦国時代にかけて、塩谷地方北西部を支配した塩谷(しおのや)氏の本城、川崎城へ登城した。(所在地は栃木県矢板市川崎反町・館ノ川。2016年1月2日の登城)。川崎城の築城者は、宇都宮業綱の次男、塩谷朝業(しおのやともなり / 1174年~1248年)とされる。塩谷郡を支配し、堀江山城を拠点としていた堀江朝義(源姓塩谷氏)の養子となり、堀江山城の北500mの位置にさらに大規模な川崎城を築いた。

川崎城川崎城址公園の西側登城口。

川崎城の縄張り~新城と堀江山城は別とみる

現地案内板によると、川崎城の範囲は南北1500m、東西は「宮川」と「弁天川」の間の340mだという。
最北端は「城の湯温泉センター」西側の新城と呼ばれる川崎神社あたりまで。そして最南端は北窪不動尊のある堀江山(県道大宮・木幡線242号を挟んで南側。このマップには入っていないが、すぐ左隣)。矢板市の指定史跡となっている面積は6.08haである。川崎城跡公園として通路整備されているのは、本丸、二の丸、三の丸周辺の主郭部分であり、水ノ手曲輪や大連院池は藪なので立ち入るのは難しい。

川崎城の縄張り現地、川崎城の城郭マップ。

なお、新城および、堀江山(堀江山城)ではそれぞれ独立した城郭の遺構が残っている。そのため現地案内板の見解とは違い、「川崎城の一部ではない」という見解もある。実際、川崎城の規模は明らかにはなっていない。

当方では、「新城、川崎城、堀江山城」として別の城と理解する。それにしても、ここまで支城が隣接する城も珍しい。連郭式ならぬ、連城式とでも言おうか。いずれにしても、堀江山城は川崎城の南を守備する支城、北の守備は新たに築城した新城と理解できる。また、塩谷氏の平時の居館として御前原城があるが、こちらは発展しづらい場所にあり、次第に別邸や川崎城の支城として機能していたようだ。

弁天川を川崎城の最西とするなら、東北自動車道によって分断されている。かろうじて川崎城の主郭沿いに通したと思われるが、新城ではど真ん中で分断している。(全国的に見ても、高速道路が城郭を分断したがるのはなぜなんだろう?)東北自動車道を挟んで西側は外根古屋であり、家臣団の屋敷跡と考えられる。館ノ川という地名もそれに由来しているのだろう。川崎城の位置では、北に高原・那須の山々が連なり、南東ではゆるやかな丘陵が続く。北東では箒川(ほうきがわ)を挟んでおり、那須氏と対峙するには適した場所と思われる。

堀江氏(源姓塩谷氏)から、藤姓塩谷氏へ

堀江氏は堀江山城を本拠とし、塩谷郡を治めていた源姓塩谷氏であるが、塩谷朝義の養子となった塩谷朝業は宇都宮氏(藤姓)の出自であるため、源姓塩谷氏は終焉を迎える。血統は「喜連川源姓塩谷氏」に受け継がれたが、それも後に途絶えた。13代 塩谷教綱のとき、宇都宮氏当主の宇都宮持綱を幸岡原で暗殺(1423年)。その後の1458年、和睦のため招かれた宇都宮城にて教綱が報復で暗殺されたため、塩谷朝業から続く藤姓塩谷氏は衰退した。

藤姓塩谷氏から、重興塩谷氏へ

教綱の子、塩谷隆綱は塩谷孝綱(宇都宮正綱の子)を養子に迎え、これが宇都宮氏との和睦となったと考えられる(1478年)。1489年、養父:塩谷隆綱が死去すると、孝綱は塩谷氏の家督を継ぐ。塩谷孝綱の代から再興塩谷氏として重興塩谷氏と呼ばれる。(宇都宮氏の血統であるため藤姓塩谷氏に変わりはないが、塩谷朝業の血統ではないため区別しているようだ。)

塩谷孝綱の子、塩谷孝信による兄(義孝)の殺害、川崎城の占領

塩谷孝綱から宇都宮氏流の塩谷氏として再興されたが、子には塩谷義孝(※嫡男)、塩谷孝信がいる。孝信は、これまで争ってきた喜連川塩谷氏の養子となり家督を継いでいた(養父に塩谷惟朝)。1564年、孝信は門番に内通し川崎城に侵入、塩谷氏当主である兄の義孝を殺害し、川崎城を占領した。孝信の妻が、那須氏の重臣の娘であったため、塩谷氏と対立していた那須氏方としての行動であった。

義孝の子である塩谷義綱は重臣によって救出され、1566年には那須氏と一時和睦する。那須氏、宇都宮氏、佐竹氏の力を借り、川崎城を奪還した。孝信は川崎城を落ち延びたが、生涯、那須方の武将として、実家である塩谷氏と主家の宇都宮氏と戦い続けた。(薄葉ヶ原の戦いなど)

塩谷氏の改易と、川崎城の廃城

1595年、塩谷義綱は豊臣秀吉より改易を言い渡され、川崎城は廃城となった。隣接する堀江山城、新城もこの時に廃城になったと考えられる。1590年の小田原征伐に、塩谷義綱が参陣しなかったために改易および廃城となったと言われる。しかし、義綱は秀吉に恭順していたため、改易されるとは考えられず、改易と廃城の理由は定かでは無い。捨扶持として1000石が安堵されたが、義綱は放棄して出奔した。

泉騒動と、重興塩谷氏の終焉

塩谷義綱が出奔したため、義綱の異母兄弟で庶兄である塩谷義通がその1000石を継いだ。(塩谷義通の母は塩谷氏重臣の岡本正親の姉、妻は岡本正親の娘)。塩谷義通の長男:岡本義保は岡本氏を継ぎ、次男:岡本保真は塩谷惣十郎と名乗り塩谷氏を継ぐ(野州塩谷氏)。岡本義保の子、岡本義政が岡本保真を殺害したため、重興塩谷氏は終焉した。(1644年、泉騒動)。また、事件を起こしたため、岡本氏は改易となった。

泉騒動とは

泉騒動は1644年3月に起きた。那須の芦野資泰が芦野家の跡継ぎとして、岡本義保の次男(万吉)に養子縁組を申し入れたことから始まる。しかし、気が変わった芦野家は一方的に破談にする。(跡継ぎは庶子の芦野資俊が選ばれた。)

芦野家を見返そうと、義保は弟・保真の娘と万吉を結婚させて2000石の旗本にすることを画策。しかし、義保の死によりこの計画は延期となった。義保の跡を継いだ岡本義政は、この計画の破談と保真の領地を狙い、泉城にて保真を暗殺した。

岡本義政は「喧嘩のもつれ」として暗殺事件を偽装していたが、謀略と察した保真の義兄・千本長勝は幕府に訴えた。結果、喧嘩両成敗という形で、岡本氏と千本氏の両家に改易が言い渡された。(千本長勝は後に旗本として復帰した。一方、事の発端となった芦野家だが、系図では他人事のように語っている。)

久保田藩の塩谷氏

かつて1000石を放棄して出奔した塩谷義綱は、佐竹義宣に仕えた(1597年)。佐竹氏は出羽国に転封(久保田藩)になるが、塩谷義綱の子孫は、佐竹氏の家臣として続いた。しかし10代目の塩谷温綱には跡継ぎがなく、明治時代に直系が途絶えた。

川崎城跡公園を散策する

川崎城跡公園川崎城跡公園の散策マップ。今回は高速道路のある西側(Mapの現在地)から登城を開始する。

大きな堀跡川崎城と堀江山城の境付近(242号線)に大きな堀跡を確認できる。おそらくここから北が川崎城とみてよさそうだ。(この写真では左側が北で川崎城がある)

登城口川崎城 西側の登城口にはパーキングとトイレがあるが、ここはかつて内根古屋と呼ばれていた。重臣の屋敷でもあったのだろう。

星宮神社帯曲輪に建つ星宮神社。

川崎城へGO案内板のところから南曲輪に向かって思いっきり蛇行しながら進む。

南曲輪

川崎城の南曲輪南曲輪では、梅の木が植えられている。

堀江山城南曲輪からみた堀江山城。大堀切(242号線)を挟んで向かい側にある山が堀江山城。

信生法師集の「家集部・雑」南曲輪に建つ歌碑で、信生法師集の「家集部・雑」に記されている和歌2首の原文を彫刻したもの。江戸時代初期に書写されたものが、宮内庁書陵部に所蔵されている。川崎城の築城者、塩谷朝業は鎌倉幕府の御家人であり、源実朝(鎌倉幕府3代征夷大将軍)と主従関係だが和歌を通して親しかった。中世文学史に残る歌集「信生法師集」を残している。 ※信生法師とは出家した塩谷朝業のこと。

1219年、源実朝(鎌倉幕府3代将軍)が暗殺されたのを期に、川崎城に戻り出家を決意、京都へ向かった。この歌碑にある和歌では、出家にあたり、幼い我が娘との断ちがたい絆に悩む姿が歌われている。なお、川崎城では梅の木が多く植えられているが、塩谷朝業と源実朝が和歌で梅の句を詠んでいたことに因んでいる。

あずまや南曲輪のひとつ上の帯曲輪にあずまやがあるが、物見台跡だろうか。川崎城の東側を見張ることができる。

1の堀

川崎城の一の堀南曲輪と本丸の間にある一の堀。

ヤマトアオダモ土塁には矢板市指定天然記念物「川崎城跡のヤマトアオダモ」がある。樹高は24.3mで推定樹齢は400年。廃城後間もない時期に自生したものだろうか。

本丸と二の丸(Ⅰ)の間にある、一の堀。

一の堀を歩いて北へ向かう。写真では左にある曲輪が二の丸(Ⅰ)。

二の丸(Ⅰ)から見た1の堀。

川崎城 本丸

本丸本丸の規模は東西44m、南北160mの三日月形。北半分では雨落を伴う建物跡が発掘され、整地や建て替えが何度も行われた形跡があるとのこと。南東部からは13世紀頃の愛知県常滑産の大きなかめが発見されている。

本丸の削平地。

本丸東側から、木幡神社や御前原城、矢板の市街地を見渡せる。

笠間市との姉妹都市提携記念碑本丸西側に川崎城址の石碑と、笠間市との姉妹都市提携記念碑が設置されている。塩谷朝業の次男、時朝が笠間城主になったことから笠間市と姉妹都市提携の盟約を交わしている。(時朝は宇都宮頼綱の養子となり、常陸国笠間を支配していたため笠間氏を名乗った。居城として笠間城を築いた。)

二の丸と二の堀

二の丸二の丸は主郭部を守るため、1の堀の西側から北側に作られた曲輪である。この写真は西側の二の丸(Ⅰ)で、規模は東西22m、南北88m。北側の二の丸(Ⅱ)では規模が東西119m、南北8~20mで、5mほど低い位置にある。ニノ堀は2の丸の北側にあり、丘陵を南北に切断するように掘られている。

三の丸に行くには二の堀を越えなくてはならない。二の丸から二の堀へ下りるが、急勾配の木造階段で、パソ兄さんの体重に耐えられるのか恐怖した。

二の堀の様子。

三の丸と三の堀

二の堀を越え、三の丸(Ⅰ)に到着。三の丸の規模は東西37m、南北120mほど。三の丸では北および東側に5つの曲輪を構えている。

三の丸(Ⅰ)からこれまた急勾配な木造の階段を下り、三の堀に出る。

三の丸(Ⅳ)とⅤのあたりの削平地。川崎城は本丸を中心に腰曲輪で囲っており、その城郭から別名では蝸牛城とも呼ばれる。

新城~川崎城の北の守備

川崎城現地案内板では、新城も川崎城の一部と見なしているようだが、新城は独立した城郭のため見解が分かれている。
いずれにしても川崎城の後に築城されたものだろう。川崎城の拡張なのか、支城の追加なのかはっきりしないだけ。例えると、「二世帯住宅は同じ屋根の下だから事実上1世帯なのか、それとも仕切られているので二世帯で区別するべきなのか」という議論なのかもしれない。

川崎城の水ノ手曲輪は藪で通過できないため、パーキングの登城口に一旦引き返し、東北自動車道沿いの小道を歩き、新城に向かって北上する。左側はひっきりなしに自動車が通り、騒音がひどい。ここまで騒音に取り囲まれた城址は非常に珍しい。運転手も高速道路沿いに人が歩いていて、さぞかしびっくりだろう。川崎城の主郭周辺はかろうじて残されているが、新城は高速道路でばっさりと分断されているようだ。とりあえず、望楼跡に建つ川崎神社を新城の登城地とする。

川崎神社川崎神社の鳥居に到着。鳥居および城の湯温泉センターの沿いの道は堀切のようだ。新城の向かい側である北にも砦のような雰囲気がある。

川崎神社の社殿参道の尾根道を通り、社殿に到着。おそらく望楼のあった曲輪だろう。さらに上の本丸へ行きたかったが悪路のため断念。川崎神社の案内板によると、江戸期までは星宮神社であり星宮大明神(ほしのみや~)と呼ばれたが、明治になって川崎神社と改称されたという。創建は不詳だが奈良時代以前からあり、川崎の氏神として星宮が祀られたという。

温泉センター城の湯温泉センターで登城の疲れを癒やした。

的場山

歴史と憩いの森新城(川崎神社)の向かい側にも砦らしきものがあり、「歴史と憩いの森」ということで散策できる。展望台のある左側コースと墓地のある右コースに分かれている。隣に矢板城の湯ふれあい館があり、「これは矢板城なのか??」と思いきや、矢板城址はさらに北東の矢板小学校の近くにあるらしい。

展望台のある左側コース。展望台では、西が高速道路、東は矢板市の住宅街だが枝木でよく見えない。見晴らしに難ありな展望台だ。

墓地のある右コースでは坂道を登って行くがフェンスで行き止まり。なんだかよく分からないが、新城の北側の尾根続きは的場山と呼ばれ、射的場と考えられているらしい。また、場所が定かで無い幸岡城(こうかじょう)は、この辺りだという説もある。

堀江山城

川崎城の築城者は塩谷朝業であるが、その養父は堀江山城を拠点としていた堀江朝義(源姓塩谷氏)である。現地案内板では堀江山城を川崎城の一部と見解しているが、堀江山城は川崎城以前からあった堀江氏の城であり、独立した城郭を構えている。

堀江山城と建徳寺建徳寺のある堀切から登城を開始する。写真左側が堀江山城。右側は川崎城方面(北)となる。まるでリアル・ドラゴンクエストみたいな風景で、人の気配がまったくない。なんとも隠し砦を発見した気分になる。

観音堂天然の要害を堀切にしたと思われ、円形状の窪地に観音堂が置かれている。この建徳寺は塩谷氏の菩提寺である長興寺の末寺。明治時代に廃寺となったが、無住寺ながら観音堂が置かれ維持されている。お堂の先は行き止まり。しかし、右側(北)は墓地があり、坂道から上に登ることができた。

そのまま進み、東北自動車道沿いの道にでた。南下して北窪不動尊へ向かう。

堀江山城の北窪不動尊北窪不動尊の場所は蛇行した堀切のような地形。まだ南に城郭が続きそうな気配があるが、現地の案内板では川崎城の規模はここまでとしている。しかし当方では一応、堀江山城として独立した城郭とみる。城郭調査は悪路のため断念。

242号線高速道路沿いを歩き、242号線にでる。

ここは名も無き川崎城と堀江山城の中間242号線からみた堀江山城。(北窪不動尊から建徳寺までが堀江山城なら、ここは名も無き川崎城と堀江山城の中間の山となるが・・。)

川崎城の西側パーキングからみた堀江山城。ここは天然の堀切だったのであろう。なお、川崎城の縄張りや規模ははっきりしていないので、自分自身の独断と偏見で紹介しているところもある。

下野国 塩谷氏の史跡巡り

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