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武石城へ行く!千葉6党・武石氏の史跡めぐり

武石氏の祖である武石胤盛は、千葉6党のひとり。下総国千葉郡武石郷(千葉市花見川区付近)を領したことから武石氏を名乗る。父・千葉常胤が源頼朝から受けた陸奥国の所領のうち、宇多郡・伊具郡・亘理郡の一部を譲られているが、武石氏の一部が亘理郡へ移り、亘理氏を名乗っている。後に伊達氏と姻戚を重ねて、 涌谷伊達氏として伊達一門となっている。伊達騒動で知られる涌谷藩当主・伊達宗重は、武石氏の流れを持っている。

今回は、千葉郡武石郷の史跡として、武石城(真蔵院)、長胤寺(長胤の館跡)、武石神社(胤親の館跡)をめぐる。
(2014年9月実施)

まず、千葉六党とは

源頼朝に従い奥州合戦(1189年)に参加した千葉常胤の子らは千葉六党と呼ばれ、庶家は治めた領地名から相馬氏、武石氏、大須賀氏、国分氏、東氏に分かれて発展した。(末っ子の日胤は六党に入っていない。園城寺に属した天台宗の僧であり、源頼朝の祈祷僧とされる。1180年に平家と戦い戦死している。千葉氏家臣に円城寺氏があるが、日胤の名を継いだとされる。)

※園城寺(おんじょうじ):滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。別称三井寺(みいでら)。

千葉氏の始まり千葉氏系譜。千葉氏については千葉城(亥鼻城)および本佐倉城の記事を参照。

武石城(武石胤盛の居城)

千葉家常胤の三男、胤盛が武石郷を領したことから武石胤盛と名乗るようになった。千葉県千葉市花見川区武石町1丁目にある武石城を居城とした。武石城址は現在の真蔵院にある。お堂の裏手(西側)が崖となっており、そこが主郭のようだ。

武石城案内板によるとおうある。真言宗豊山派の真蔵院は806年の開基と伝わる。1688~1704年に観海上人により中興開山された。本尊は千葉常胤三男・武石三郎胤盛が母の菩提を弔うために祀ったと伝わる柳地蔵菩薩。

真蔵院境内の様子。銀杏の木が愛らしく剪定されている。「本堂前にある3.31mの武蔵型板碑は1294年に母の菩提を供養するために建立されたもの」と真蔵院の案内板にあるが、誰の母か、誰が建てたのか記されていない。年代からすると初代武石氏の胤盛ではないと思われるが・・・。

どうやら、こういうことらしい。

武石胤盛の母を葬った字須賀原(愛宕山-武石町2-940)というのがあり、その古墳に建っていた七基の板碑の一つだという。約100年後の1294年に建立したものらしい。(武石胤盛の子孫・胤晴が行ったと推定されている。)1700年代に浪切不動堂の山下に移され、近年になってから本堂前に移された。「施主常胤」と刻まれているが、後世の人間が追記した偽情報らしい。

波切不動堂真蔵院本堂にある左側の石段を上ると波切不動堂が建っている。胤盛の守り本尊である不動尊を、4代(曾孫)の武石長胤が浪切不動堂に祀ったとされる(1259年)。武石、幕張、検見川の船頭衆などの人々からの信仰が厚かった。

武石城の搦手口波切不動堂の脇道からさらに上がると古びた墓地に出る。ここは武石城の搦手口だったのだろうか。墓地は物見台であったようにも思える。

愛宕神社墓地の先には畑が広がっており平場になっている。ここが武石城の主郭とされるが、目にとまるような遺構がない。隅に置かれている愛宕神社が何かしら物語っているような雰囲気。

長胤寺~武石長胤の館跡

長胤寺長胤寺(千葉市花見川区長作町)は、1259年に長作の地を領した武石長胤の居館跡。1262年に自らの館を長胤寺として創建した。舌状台地の突端にあり、舗装されているが枡形道の地形が館跡(城郭)の名残となっている。自動車からすれば相当な悪路。
※武石長胤は胤盛の曾孫

日蓮宗に改宗
長胤寺の山門、および本堂。1545年に真言宗から日蓮宗に改宗したらしい。

城館西参道は封鎖されていたが、城館らしいい雰囲気を残している。また境内には土塁跡が残る。

天津神社(妙見神社)

天津神社
長胤寺近くの天津神社。その実態は千葉氏でお馴染みの妙見神社。完全な崖の上であり、城館(長胤寺)の砦跡のような印象を受ける。神仏分離により天津神社と改称したのだろう。

諏訪神社

諏訪神社長胤寺近くの諏訪神社、遠景

鳥居と拝殿

境内の様子。北東側半分は採土のためで削られ、平坦な住宅地になっている。

参道は急峻な石段と坂道がある。見晴らしがよいので物見台だろうか。

武石神社

武石胤親(戦国時代)の館跡京葉道路武石ICの近くの武石神社へ行く。竹藪の坂道を通り、武石台地に上がる。

武石神社
武石神社は、武石胤親(戦国時代)の館跡で「武石館」とも呼ばれる。案内板によると武石郷を治めた武石氏最後の人物のようだ。また、現在では「たけいし」と呼んでいるが、当時は「たけし」と呼んだみたいだ。

現地の案内板にはこう解説されている。なお、ここの説明では武石神社が武石城だったとしている。

「1538年の第一次国府台合戦にて武石胤親が討ち死にして武石氏は途絶えた。武石嫡流没後、里見家に残っていた武石氏末裔により武石城跡に代々の神霊が祀られ「おたけし様」と称された。当地には古くから石塚が祀られていたが、神社の創建年代は不明。1756年に末裔の武石胤清が武石神社に詣でて奉賽したと伝わる。この翌年、馬加康胤の家臣・小川采女(うねめ)の子孫を神主として招き、祭儀を執り行った。昭和15年、武石胤清の子孫・武石胤興が参拝し、小川定右衛門の協力を得て社殿、鳥居、社号標を建てた。平成19年に社殿を改築、参道の敷石が敷設された。」

※武石胤親は第一次国府台合戦にて小弓公方に付いている
※武石氏は里見家廃絶後は帰農したという。
※初代・武石胤盛が奥州合戦の戦功により源頼朝より亘理郡を賜ったが、武石氏の一部が亘理郡へ移り、亘理氏を名乗っている。後に伊達氏と姻戚を重ねて、 涌谷伊達氏として伊達一門となっている。伊達騒動で知られる涌谷藩当主・伊達宗重は、武石氏の流れを組んでいる。

おたけし様畑が広がっており、遺構はよく分からない。ただ、ヤブに囲まれた円墳らしき遺構がある。
1455年、足利持氏派の馬加康胤・原胤房(千葉氏一族)が、宗家の千葉胤直・胤宣父子を攻め千葉宗家が滅亡しているが、このとき、同族で隣接する領地を持つ武石氏がどういう立場を取っていたのだろうかと気になる。

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