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千葉城(亥鼻城)~千葉宗家の居城か?

千葉氏宗家の本拠地で居城であったのが千葉城(あくまで通称)で、それが亥鼻城(いのはなじょう)とされる。亥鼻山(亥鼻台)に築かれた亥鼻城は、北は都川、西は断崖に面した要害となっている。(2008年8月登城・執筆 / 2022年6月再登城・加筆)

千葉城亥鼻台公園に設置されている説明板(平成15年)によると、博物館(模擬天守)の位置を中心とし、千葉大学敷地を含んだ大規模な城であったと考えられている。1126年から1455年まで、千葉氏内紛によって落城するまでの約330年間、千葉氏の本拠地であったとされる。

平常兼が下総国千葉郷に拠点をおいたことから千葉介を称し千葉氏が始まる。その子、千葉常重が1126年、千葉を拠点とし後の千葉氏の基礎を固めた。そして常重の子である千葉常胤(平安末期~鎌倉前期)のときには千葉氏が最も栄えたという。

亥鼻城跡の発掘調査では、鎌倉時代の城跡や館跡は確認されていない。出土品から13世紀以前は墓域と考えられている。また、亥鼻城としての築城および城郭整備したのは千葉氏宗家ではなく、同族の弥富原氏であるとの見解が有力である。

1455年に享徳の乱が勃発すると、千葉氏庶流の馬加康胤は古河公方の足利成氏を支持し、宗家と対立する。馬加康胤に加担した同族の原胤房が亥鼻城を落とす。宗家の千葉胤直・胤宣父子は討たれ、千葉氏宗家は滅亡した。その後の戦国期においても亥鼻城が利用された形跡はなく、さほど重要地ではなかったようだ。

亥鼻城 縄張り

亥鼻城の縄張り七天王塚の案内板に記載されている、亥鼻城の縄張り。博物館のある亥鼻公園を主郭部とし、東側の千葉大学キャンパスおよび、医学部附属病院は外郭部に当たる。亥鼻台公園も城址とされている。さらに東側の矢作トンネル付近には「矢作砦」があったとされる。

しかし、外郭部とされるところの発掘調査では中世の遺構がほとんどなく、大手口とされた七天王塚は古墳であることが判明したため、築城で造られたものではない。そのため亥鼻城の城郭は亥鼻公園あたりに限定されるのが現在の通説である。・・とは言っても、外郭部とされるところは「特に手を加えることなく天然の要害として利用された」と考えられなくもない。

亥鼻公園亥鼻公園で確認された遺構(戦国期の概念図)。現在においては、これが亥鼻城の全容とみてよさそうだ。三の郭で突端にある神明社は物見台跡で、土塁に囲まれた中央部が一の郭、いのはな亭(茶屋)や博物館のある位置は二の郭とされる。

三の郭~物見台跡

神明社は物見台跡主郭の突端にある神明社は物見台跡。

主郭(一の郭)

亥鼻公園土塁一の郭 西側の土塁跡。骨壷ともいうべき蔵骨器(ぞうこつき)が出土しており、元は城ではなく墓域だった証拠になっている。

土塁跡こちらも土塁跡。

二の郭

亥鼻城二の郭跡に建つ模擬天守閣は、千葉市立郷土博物館であり近代的な建築で昭和42年に開館した。歴史的背景では何の関係もないが、天守閣にしてしまうのは市政がやりがちな一国一城のイメージなのだろう。この模擬天守閣は免震構造で建物が地盤と絶縁されている。地震の時には地面と建物が最大60センチずれるのだとか。千葉市は全国12番目の政令指定都市にまで発展した。千葉氏本家が拠点とした亥鼻の地がこうして発展したのは感無量だが、都市化された景観は味気ない。

天守では定番中の定番、展望台からの眺望。

いのはな亭茶店・甘味処「いのはな亭」も二の郭跡に位置する。名物は「いのはな団子」。ちい散歩でも紹介された茶店である。

亥鼻台公園

平成13年の発掘調査亥鼻公園から堀切を隔てて東側、この亥鼻台公園も城郭の一角であり、かつての通説であった外郭部の南端である。平成13年の発掘調査では、斜面を沿うように掘られた堀状の遺構が確認されている。深さ2.5~2.8m、幅4.9~8.2mの規模であったという。

亥鼻台公園15世紀ごろとされる土葬墓が34基、火葬跡が10基確認されている。ほか、出土した五輪塔や宝篋印塔は墓石と考えられている。確かに亥鼻城は墓域の要素が強い。

七天王塚(大手口とされていたが・・・)

七天王塚が古墳である亥鼻城の大手口とされる位置に、千葉氏が一族の繁栄を願って作ったとされる「七天王塚」がある。今回は3つ確認してきたが、散在する7つの塚では牛頭天王を祀っており、千葉氏の妙見信仰にならい、北斗七星の形に配置されたとされる。千葉氏の七人兄弟を葬った墓とか、平将門の七騎武者(影武者7人)の墓という伝承もある。

現在では七天王塚が古墳であることが判明されているので、亥鼻城との関連性は非常に低くなっている。またここが大手口であった可能性も低くなった。

千葉氏の館跡(比定地)

相馬文書には「千葉城」「千葉楯」を攻めた千葉氏の館跡の場所は明確になっていないが、土塁に囲まれ「御殿跡」と呼ばれた場所がひとつの比定地となっている。現在の千葉地方裁判所のあたり。なお、亥鼻山の麓にある智光院も千葉氏の館跡(比定地)とされる。

なお、宗胤寺跡の案内板によれば、千葉地方裁判所の地の「御殿跡」とは徳川家康の館があったことを指す。船橋御殿東金御殿などのように鷹狩りに利用した宿なのだろう。ただ、すでに整地されていた場所だったのなら、千葉氏館跡の説も否定できない。ここのすぐ隣に宗胤寺があったことも、千葉氏の館があったことを示唆しているという。

1335年、千葉胤貞(千葉宗胤の長男)が一族の内紛で叔父の胤宗と対立する。千葉胤貞は貞胤(胤宗の子)が本拠とした千葉荘を攻撃したが、相馬文書には「千葉城」「千葉楯」を攻めたと記されている。千葉楯ということは「低地にある館を楯で守備したこと」を指すので、亥鼻城として台地に築かれた城はまだなかったと考えられる。千学集抄においては千葉氏の館の場所を「堀内」と記しているので、低地にあったことは間違いないようだ。亥鼻城は15世紀以降に築城されたと考えるべきで、それまでは千葉氏宗家の墓地なのだろう。

矢作砦

千葉高架水槽がある山が矢作砦矢作トンネルや千葉高架水槽がある山が伝承の「矢作砦」とされる。中世では矢作城という支城とも。亥鼻城が大規模な城郭だったとするなら、最東端の位置する砦である。ただ、ハッキリしている遺跡は貝塚である。

千葉氏の始まり

千葉氏の始まり千葉氏一族を遡ると桓武天皇から始まり、桓武平氏の祖である高望王を先祖に持つ。平良文(平将門の叔父)の孫である忠常という人物が初めて下総に本拠地を置き、大友城(千葉県香取郡東庄町)を構えた。※諸説あり。

下総に支配を置いた千葉氏の祖としては、平忠常が初代という見方になる。なお、千葉氏が妙見信仰によって団結しているのは、高望王が嫡男の誕生を妙見菩薩に祈願したことから始まる。

千葉介を称した、平常兼(千葉氏の初代当主)

忠常のひ孫、平常兼が下総国千葉郷に拠点をおいたことから千葉介を称し、千葉氏の初代当主にあたる。拠点を大友城から大椎城(千葉市緑区大椎町)に移したが、村田川から国府(市原市国分寺台)までの交通の便がよかったからと推測される。

千葉城(亥鼻城)を居城とする本宗家の初代、千葉常重

平常兼の子、千葉常重が大椎城(おおじじょう)から池田郷亥鼻(千葉荘)に拠点を移したのが1126年で、千葉城(亥鼻城)を築城する。千葉城を居城とする千葉氏本宗家としては、千葉常重が初代千葉氏ということになる。都川(みやこがわ)が天然の要害であり、鎌倉や品川に海上アクセスしやすい東京湾沿いを選んだと考えられている。ただし、千葉常重が葉城(亥鼻城)を築城したという通説は否定されつつある。低地の館を拠点としていたのだろう。

千葉氏隆盛時期の人物、千葉常胤

千葉常胤は、千葉城(亥鼻城)を居城とする本宗家では2代目となる。平安末期~鎌倉前期の人物。相馬御厨(そうまみくりや)をめぐる領地問題を抱えるが、源頼朝に従ったことで20数カ所の所領を得て千葉氏の地位を盤石なものとする。

相馬御厨(そうまみくりや)とは、千葉県柏市、流山市、我孫子市、茨城県取手市、守谷市あたりにあった伊勢神宮の荘園。先代の千葉常重が伊勢神宮に寄進したが、国司の税金未納をきっかけに藤原親通や源義朝が領地を狙う。常重は捕らえられてしまうが、その子である千葉常胤は税金を払い、源義朝と主従関係になりこれを回復する。しかし、平治の乱で義朝が討たれ平家政権になると、佐竹氏に奪い取られてしまう。これを奪回するために源頼朝に助力した。(佐竹氏は清和源氏であるが、治承・寿永の乱【源平合戦】においては、平家に助力していた。後には、頼朝に従い奥州合戦に加っている)

千葉常胤千葉市立郷土博物館前に建つ千葉常胤の銅像。最も栄華を誇った人物がシンボルというわけね。

源頼朝に従った豪族と、討たれた豪族

千葉常胤と頼朝頼朝の挙兵に際して、千葉介を継いだ千葉常胤は一族を率いて従い、大きな戦功を上げた。1180年8月20日~10月6日における頼朝軍の経路。そして挙兵に味方した豪族とそうでない豪族の分布図。

千葉六党とは

源頼朝に従い奥州合戦(1189年)に参加した千葉常胤の子らは千葉六党と呼ばれ、庶家は治めた領地名から相馬氏、武石氏、大須賀氏、国分氏、東氏に分かれて発展した。(末っ子の日胤は六党に入っていない。園城寺に属した天台宗の僧であり、源頼朝の祈祷僧とされる。1180年に平家と戦い戦死している。千葉氏家臣に円城寺氏があるが、日胤の名を継いだとされる。)※園城寺(おんじょうじ):滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。別称三井寺(みいでら)。

千葉六党とは千葉六党の治めた各領地。

千葉氏一族の内乱~1455年 宗家の滅亡

室町時代、1455年に享徳の乱が勃発すると、千葉氏庶流の馬加康胤は古河公方・足利成氏を支持し、千葉胤直・胤宣父子を討ち、千葉氏宗家は滅亡。(千葉城を攻めたのは、馬加康胤に加担した原胤房)

宗家の滅亡によって、馬加康胤の子孫である下総千葉氏と、胤賢(宗家・胤直の弟)の子孫である武蔵千葉氏 とに分かれる。勢力を誇っていた下総千葉氏が事実上、宗家を引き継ぎ、千葉城を拠点としていたが、戦乱の最中により本佐倉城へ拠点を移した。戦国末期になると、1585年の「邦胤オナラ事件」をきっかけに後北条氏が千葉氏の家督を奪うが、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めが起きて後北条氏とともに千葉氏は滅亡する。

胤重寺~涌谷伊達家の祖、武石胤重を供養

千葉常胤の孫、武石胤重亥鼻山の麓にある胤重寺。千葉常胤の孫、武石胤重の菩提を弔うため子孫の雲巌上人が開山したと伝わっている。(武石胤重の父が武石胤盛で、武石郷を領していた)

1227年に鋳造された瑞巌寺五大堂の鐘には、武石胤重が陸奥国亘理郡へ進出したことが記載されており、子孫は亘理氏を名乗り、江戸時代には涌谷伊達家として仙台藩主伊達家の一門となった。そのため、武石氏にとっては武石氏初代よりも2代目の胤重が重要な存在であったと考えられる。

智光院(千葉氏館跡の比定地)

馬加康胤が開山した智光院猪鼻山の麓、胤重寺の北隣にある智光院。1456年に馬加康胤が開山したと伝わる。馬加康胤は享徳の乱(1455-1483)に乗じて、1455年に千葉氏宗家を滅ぼした人物。この時代、滅ぼされた者の霊によって災いを引き起こすと信じられていることから、滅ぼされた相手の館跡に寺を建てる習わしがある。そのため、智光院は千葉氏館跡の比定地でもある。ほかは、土塁に囲まれ「御殿跡」と呼ばれた場所(現在の千葉地方裁判所)が千葉氏館跡の比定地。本尊木造不動明王立像には栄慶が修理したと記されており、千葉氏の氏寺である妙見寺(千葉神社)と深い関係がある寺。

千葉氏の氏寺、千葉妙見宮(千葉神社)

千葉神社1000年、千葉氏の守護神である妙見菩薩を本尊とする寺院として中興開山された。平忠常(千葉氏の祖)の子、覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝わる。千葉氏宗家の元服は代々この寺で行われた。明治2年に千葉神社へと改称。

千葉氏の菩提寺、大日寺跡地(通町公園)

大日寺跡千葉神社に隣接する大日寺跡。現在は通町公園で、千葉氏中興の祖、千葉常胤の胸像が建つ。案内板には千葉常胤のことが記されており、源頼朝には父と呼ばれ、また鎌倉を本拠とすることを頼朝に進言したという。

千葉氏の菩提寺であった大日寺は昭和20年の千葉大空襲の戦災を受け、戦後の昭和26年11月に稲毛区轟町で再建された。大日寺の資料は戦火で焼失してしまい、詳細を知ることはできない。1254年、千葉頼胤によって松戸の馬橋に大日寺が創建されたが、1284年にその子、胤宗によってここへ移されたという説がある。馬橋の大日寺は後に臨済宗に改宗し萬満寺となっている。稲毛の大日寺には、千葉常兼から胤将に至る千葉氏16代の五輪塔を安置している。

宗胤寺 跡地

千葉宗胤(千葉氏の第9代当主 / 肥後千葉氏の祖)が父の千葉頼胤や一族家臣を弔うために建立した宗胤寺の跡地。千葉頼胤は蒙古襲来(文永の役・1274年、弘安の役・1281年)でモンゴル軍と戦い、その負傷により1275年に没した。千葉宗胤は所領である肥後国小城でモンゴル襲来に備えていたが、1294年に没する。その子孫、肥後千葉氏は下総の千葉氏と対立した。

宗胤寺 跡地県庁立体駐車場の左隣が宗胤寺跡地。宗胤寺は昭和20年の空襲で焼失し、中央区弁天に移転した。宗胤のものとされる五輪塔も移転している。

千葉氏の祈願所、海上山 千葉寺

千葉寺の境内千葉城(亥鼻城)の近くにある千葉寺は、千葉氏の祈願所だった。宗派:真言宗豊山派。709年に行基が開基したと伝わり、本尊の十一面観世音菩薩を安置している。

千葉寺のイチョウ境内にある千葉寺のイチョウ(県指定天然記念物)は、709年に行基がもたらしたものと伝わる。樹高30m、目通り8mもあり、かつての鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きい。乳柱が垂れているが、これを煎じて飲むと母乳がよく出ると伝わっている。

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