


- HOME
- DELLパソコン・モバイル旅行記
- 東京都
- 江戸城(千代田区・中央区ほか)
江戸城 外堀の見附
数寄屋橋門
数寄屋橋門があったのは数寄屋橋公園(ルミネ有楽町の前方側)のあたり。【 江戸城の外堀に配置された見附の位置 】
当時の様子
数寄屋橋の名称は、数寄屋橋にて外堀を渡ると数寄屋町に通じることに因む。地図に有楽原の記載も確認できる。ここらの外堀は1957年(昭和32年)に埋め立てられた。
ここは数寄屋橋跡の西側を通る「東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線」。日比谷地下道が露出している横断歩道脇から、後ろの首都高八重洲線あたりまでが外堀の幅があったようだ。山下門までは、この高速道路が外堀の水路跡に沿っている。数寄屋橋はここから見える首都高の架橋下あたりにあった。
その横断歩道脇に、数寄屋橋見附のパネル写真(明治元年)が展示されているが説明文は一切ない。
明治30年代の数寄屋橋の様子。門内では、明治20年に開業した東京ホテルにつながっている。明治23年に帝国ホテルが開業するまでは東京一のホテルといわれていた。
江戸城外堀の見附巡りでは、次に山下橋門へ向かう。
【 江戸城 探索TOP および目次 】