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江戸城 外堀の見附

喰違見附と真田堀

喰違(くいちがい)見附は、土塁を前後に延ばして敵の進行を阻む虎口構造となっている。土橋の先には木戸を設けていた。これは戦国期以来の古い形態であり、江戸城外堀で多く見られる「石垣を巡らせた枡形門」の見附とは大きく異なる。喰違は弁慶堀(南)と真田堀(北)の深い谷に挟まれた高台であり、江戸城外堀では最も標高が高い。ゆえに江戸城西側の最大防衛地点と思われる。

喰違見附は、1612年に旧甲斐武田家臣・小幡景憲によって築造されたと伝わっている。甲州流軍学の創始者としても知られる武将である。1636年の天下普請では、大規模な外堀工事が行われた。江戸時代、現在の紀尾井町と元赤坂を結んだ喰違土橋であるが、1889年(明治22年)には赤坂門近くの弁慶堀に弁慶橋が架けられた。【 江戸城の外堀に配置された見附の位置


1861年の、喰違土橋および木戸の様子。左側に真田堀が描かれている。

現在の喰違見附。

この木戸跡を通る道が「紀尾井坂」であり、「紀州・徳川家、尾張・徳川家、彦根藩・井伊家」の中屋敷跡に接する道となる。この写真でいうと、左が尾張・徳川家(上智大学)、右が彦根藩・井伊家(ホテルニューオータニ)。

喰違土橋。


現在は喰違土橋から、北方面に真田堀こと「上智大学真田堀運動場」に下る道がある。


喰違の木戸跡を通って右側(南側)には彦根藩・井伊家中屋敷跡があり、現在はホテルニューオータニ。1964年(昭和39年)開業 のホテルで、東京オリンピックの外国人来訪受入れ施設として着手。最上階の回転ラウンジ(ブルースカイラウンジ)は、外国人観光客に富士山を堪能してもらうために設計された。2018年以降は安全面の理由より停止されている。ラウンジの回転機構には、戦艦大和 主砲台の回転技術が用いられている。

喰違の土塁は土手遊歩道になっており、真田堀に沿って歩くと四谷門に至る。そういうこともあり、真田堀の土塁とも言える。

1911年(明治44年)、喰違から牛込までの土手遊歩道を、江戸城外堀として永久保存するため公園化が計画された。1927年(昭和2年)、新見附橋から牛込橋までの区域が「東京市立土手公園」として開設された。関東大震災後、市谷堀の一部埋め立てなどもあり、これが後の四谷駅から飯田橋駅(牛込)に至る約2kmの外濠公園となっている。


喰違土橋から市谷土橋までの堀、真田堀~市谷堀を担当した大名家。

真田堀


喰違土橋の北側、四谷門の南側に広がる真田堀。真田信之が関わったことに由来するのだとか。真田堀は、1636年の天下普請で台地を深く掘削して造られ、最大13mも地面を掘り下げている。その土で四谷門外の東西の谷を埋め立て、四谷伝馬町や四谷塩町・伊賀町などの町を造ったという。


真田堀跡の谷間は上智大学運動場のほか、四ツ谷駅にも利用されている。


真田堀の北端はJR四ツ谷駅の駅ホーム。


JR総武線または中央線に乗車すれば、それは、in 真田堀。


四ツ谷駅改札口近くに設けられた空洞は、国史跡江戸城外堀跡(真田濠地区)となっている。


史跡保護されている真田堀の地点は、四谷門跡近く。


埋め立てられる前の真田堀。明治末から大正初年ごろの四谷見附情景。

1950年(昭和25年)、戦災の瓦礫を処理するため真田堀は埋め立てられた。その後、上智大学のグラウンドになっている。埋め立てても当時の水面と同じ高さにしてあるため、当時の規模を体感することはできる。土塁部分は江戸時代のまま残されている。

飯田橋駅で展示されていた真田堀の写真(たぶん明治期)

真田堀の土塁


尾張・徳川家中屋敷(上智大学)側の、真田堀土塁。喰違見附の土塁と一体化している土手である。

真田堀の掘削による大量の土砂で高さ5mの土塁も築いている。真田堀の土塁としているが、喰違見附から延びているこの土塁は整備され土手道になっており、四谷門跡(JR 四ツ谷駅)につながっている。西に真田堀の見晴らし、東は尾張徳川家の中屋敷跡である上智大学四谷キャンパス。

ちなみに、尾張徳川家の上屋敷跡(市ヶ谷上屋敷)は現在の防衛省。下屋敷は早稲田大学 西早稲田キャンパス近くの戸山公園・戸山ハイツ。


土手の下で上智大学側は「ソフィア通り」と呼ばれている。土手の上は「ソフィア散歩みち」という。

真田堀の西隣りには紀伊国坂から続いている迎賓館があるが、かつての紀州和歌山藩徳川家の(実質的な)上屋敷跡である。外堀の外側、見附の門外、つまり城外に位置している。明暦の大火(1657年)では、外堀の内側(門内)の大半が焼失した経緯があり、御三家の上屋敷は江戸城外(門外)に移転している。

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