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江戸城 外堀の見附

赤坂門と弁慶堀

赤坂門は、1636年に筑前福岡藩 黒田忠之により枡形石垣が造られ、1639年に御門普請奉行の加藤正直・小川安則によって門が造られた。赤坂門は、大山(阿夫利神社)や大雄山最乗寺参拝の出発点であり、大山道につながっている。江戸名所図会によれば、江戸城の城門のなかでも優れた縄張りであったとされる。1871年(明治4年)に櫓などの建築部分は撤去され、明治30年代には石垣もほとんど撤去された。【 江戸城の外堀に配置された見附の位置

江戸時代の赤坂門の様子。弁慶堀と溜池に挟まれた位置にあり、江戸城下の西の防御であった。門へは土橋でつながっている。※弁慶堀は明治時代からの名称である

明治初期の赤坂門。

赤坂門の石垣。

現在の歩道がちょうど高麗門を抜ける方向になっている。当時であれば、高麗門をくぐったら右側(車道)へ直角に曲がって櫓門をくぐることになる。

石垣の下には弁慶堀がある。

赤坂門石垣を、遊歩道から間近で見られる。

江戸時代の赤坂門と現在の赤坂門跡。西に冠木門(高麗門)、南に櫓門の枡形門だったようだ。枡形石垣の内側に関する史跡は何も残っていない。

赤坂門のすぐ北には紀州藩邸(上屋敷)があった。ただし中屋敷のような使われ方だったという。さらに紀州藩邸は清水坂(紀尾井町通り)、諏訪坂(プリンス通り)、清水谷坂に囲まれた敷地で、現在は東京ガーデンテラス紀尾井町(赤坂プリンスホテル跡)、清水谷公園、駐日バングラデシュ大使館、文藝春秋ビル本館などがある。

ちなみに、紀州徳川家の(上屋敷として使われた)中屋敷は現在の赤坂邸(赤坂御用地)、下屋敷跡は旧芝離宮恩賜庭園である。

赤坂邸(赤坂御用地)が紀州藩の「上屋敷」であることは知られているが、この赤坂門側の紀州藩邸(麹町邸)が上屋敷という記述も見られる。それはこういう事らしい。明暦の大火(1657年)の後、麹町邸が上屋敷になったが1823年に焼失した。その後は、元々中屋敷であった赤坂邸が事実上の上屋敷として機能したという。

少し高い歩道橋から撮影。東京ガーデンテラス紀尾井町のひとつ、賃貸マンション「紀尾井レジデンス」が見えるこの北側は、紀州徳川家 紀州藩麹町邸があった所である。昭和・平成にかけては赤プリこと、赤坂プリンスホテル(グランドプリンスホテル赤坂)があった場所でもあり、2011年にホテル営業が終了し、2013年に解体工事が完了。

赤坂門のすぐ北は紀州藩麹町邸だが、枡形石垣の一部が「空の広場」というスペースになっている。ここでは紀州藩邸にあった下水溝の一部を再現している。

空の広場。

紀州藩邸 下水溝の一部を再現。

空の広場(西側)から見る弁慶堀。江戸時代には無かった弁慶橋が見える。

弁慶堀と、紀州藩邸側の石垣。

紀尾井町とは

紀尾井町は「紀州 徳川家(上屋敷だが実質的には中屋敷)、尾張 徳川家(中屋敷)、近江彦根藩 井伊家(中屋敷)が並んだエリアで、赤坂門から四谷門まで及ぶ。町名はそれぞれの各家から1文字ずつ取ったものである。

1872年(明治5年)に武家地が整理され「麹町紀尾井町」となり、1911年(明治44年)に紀尾井町となる。かつて、現在の千代田区のうち神田区以外が麹町区であった。1947年に、神田区と麹町区が合併して、千代田区となった。

弁慶堀

赤坂門の西に位置する弁慶堀は、北西の喰違土橋につながっている。北向かいの崖は彦根藩井伊家の中屋敷があった場所で、今はホテルニューオータニの敷地。弁慶堀など牛込橋に至る堀や土手の遺構は、1956年に江戸城外堀跡として国指定史跡に指定されている。

弁慶堀の東端に赤坂門の石垣が見える。


弁慶堀に架かる弁慶橋は江戸時代にはなく、1889年(明治22年)に架橋され、紀尾井町と元赤坂がつながった。現在では「紀尾井町通りの玄関口」と言われる。紀尾井町通りは、大久保利通が襲撃された「終焉の地」で知られる(事件を「紀尾井坂の変」というが、実際は紀尾井坂ではない)。

この弁慶橋は、もともと藍染川に架かっていた神田弁慶橋(岩本町1丁目)の廃材を利用して架橋された。橋名の由来は、江戸城普請に携わった大工棟梁の「弁慶小左衛門」とされる。安易に想像していた武蔵坊弁慶の事ではない。現在の弁慶橋は鉄筋コンクリート橋で1985年に改築されたもの。

弁慶橋が架かる以前、後の橋南詰となる場所に玉川稲荷社(別当:観善院)が鎮座していたが、赤坂氷川神社の境内へ遷座された。明治31年(1898年)に古呂故稲荷・地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の4社が合祀され、現在は四合稲荷(しあわせいなり)になっている。

弁慶橋から喰違土橋方面を見た時の弁慶堀。首都高が弁慶堀および、紀伊国坂(きのくにざか)に沿って架けられている。

紀伊国坂を上りながら眺めた弁慶堀。


喰違土橋から見下ろした弁慶堀。

紀伊国坂は、赤坂迎賓館(紀州藩の実質上屋敷跡)の東にあり喰違見附まで上る坂である。名称の紀伊国は紀州藩上屋敷にちなむ。小泉八雲の怪談「むじな」に登場するのっぺらぼうの話は、この紀伊国坂が舞台。

迎賓館付近の高台は赤根山と呼ばれており、茜草(アカネ)が生える山だった。そのため紀伊国坂は、茜坂(あかねざか)、赤坂とも呼ばれた。これが赤坂という地名の由来になっている

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