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北条氏照によって滅ぼされた、三田氏の城
三田氏終焉の城!辛垣城と桝形山城
2007年2月に一度、辛垣城へ登城しているが、2016年11月に再び登城した。今回のルートは、JR二俣尾駅下車して、三田氏の菩提寺である海禅寺に寄り、桝形山城を経由して辛垣城へ登城する。帰りはJR青梅駅方面の青梅ハイキングコースを通る。
辛垣城(からかいじょう)
東京都青梅市にあった辛垣城は、雷電山および枡形山の尾根続きにある辛垣山(標高450メートル・比高210m)に築かれた山城。永禄年間初期(1560年ごろ)に、青梅地方の中世の豪族、三田綱秀によって築かれたとされるが、それ以前から城郭があったとも考えられている。
1546年、河越夜戦で北条氏が関東で勢力を延ばすと、関東地方の豪族の多くは北条氏の傘下に入る。1560年に上杉謙信が関東出兵し小田原城を攻めると、三田綱秀は北条氏から離反し、上杉氏に付いた。しかし、1561年に上杉氏が関東から撤兵したため、単独で北条氏を迎え撃つ立場となった。
同年、居城としていた勝沼城から辛垣城に拠点を変え、勝沼城は三田氏自らの手で廃城されたという。辛垣城にて北条氏と戦うが、1561~1563年のころに、滝山城主・北条氏照の攻撃によって落城した。辛垣城は、かつて居城としていた勝沼城の西側にあることから、「西城」とも呼ばれる。そして、名族三田氏の終焉の地となった。現在では青梅市指定史跡。
青梅むかし話によれば、三田氏の家臣、塚田又八が北条氏に内通しており、「辛垣城の下の急斜面には、青竹を立て並べ油がぬってある」と助言した。北条勢は、その青竹に火を放ち、辛垣城は炎に包まれてしまった。
落城のとき、綱秀は次の和歌を詠んでいる。「辛垣の南の山の玉手箱あけてくやしき我が身なりけり」。
南の山とは桝形山のことだろうか。内通により、桝形山城を北条氏に陣取られたのであろうか?
三田綱秀は岩槻城の太田資正の元へ落ち延び、そこで自刃したという。1564年には、同じく上杉派の里見氏・太田資正が第2次国府台合戦で北条氏に大敗したため、三田氏の再興どころではなかったようだ。同年、5月に太田資正は岩槻城に帰還しているが、息子の太田氏資は親北条派であり、7月には父を追放して岩槻城を支配した。三田綱秀の自刃は10月というから、タイミング悪く、北条および太田氏資の手にかかったと推定できる。(因みに太田氏資は1567年、里見氏との三船山合戦で北条氏の殿(しんがり)を務め、討ち死にしている。)
桝形山城
辛垣城の南東にある尾根続きの桝形山には桝形山城が築かれている。しかし、この城に関する伝承はなく、よく分かっていない。おそらく辛垣城の支城とか出城かと思われるが、「辛垣城攻めで北条氏が築いた」とか、「辛垣城の落城後に北条氏が増築した城」とかの説もある。
桝形山城経由の、辛垣城ハイキング
JR二俣尾駅下車して、三田氏の菩提寺である海禅寺に寄り、そして泉蔵院墓地の西側登山口から桝形山城へ入り、物見山を経由して、辛垣城へ登城する。帰りはJR青梅駅となっている。なお、辛垣城の登城なら軍畑(いくさばた)駅よりも二俣尾駅のほうが近い。軍畑(いくさばた)という地名は、辛垣合戦に由来すると言われている。
海禅寺(かいぜんじ)と、三田氏の墓石
要塞かと思わせるような石垣の上に建つ、瑞龍山海禅寺。この海禅寺は寛正年間(1460~65)に僧益芝永謙が草庵を営み、長勝庵と号したのが始まり。一州正伊が長勝山福禅寺と称し開山したという。三田綱秀の援助により再興したとされるが、北条氏の辛垣城攻めの際、兵火により焼失したとされる。天保年間(1573~92)に復興整備され、1591年には徳川家康により15石の朱印状を受け、そのときに海禅寺に改称したという。多摩地方山岳部の中世禅宗伽藍の典型的な境域らしい。
山門。1793年の再建とされる。
三田氏一族の墓と伝えられている。これら一群の宝飾印塔および五輪塔は三田氏各個人の墓石ではなく、形式からみて桃山時代~江戸初期に設置された供養塔とされる。三田氏は平姓の系譜を持つとされ、南北時代から戦国時代に活躍した奥多摩地区の豪族。武蔵名勝図絵によると平将門の後裔と称していたようだ。
北条氏の辛垣城攻めにより嫡流の三田氏は滅亡しているが、北条氏に仕えた三田一族がいるようで、三田という人物が確認できるという。
鐘撞禁止の札が置かれている。
桝形山城へ登城
泉蔵院墓地の西側には、桝形山・辛垣城址の道標がある。登山口では車両が入らないように、柵が置かれている。
桝形山の登山道は幅が広く平坦で歩きやすい。道中、山神の石碑が置かれている。
鳥居を越えた辺りから、見晴らしの良い道に出て、二俣尾の市街地が見渡せる。海禅寺は辛垣山・桝形山の尾根で囲まれた谷戸に位置しており、「二股の尾っぽ」から「二俣尾なんだろうな」と個人で勝手に想定している。11月下旬だが、そこそこ紅葉していた。
桝形山城の本丸(山頂)に到着。城内で最も広いスペースの曲輪で、削平地となっている。石碑と祠らしきものが建っている。
この石碑は大山・・なんだろう、大山祇園かな。木に「桝形山城址」の木札がくくってある。
物見山
桝形山城から暫く歩くと、物見山。桝形山城の物見台なのか、辛垣城のものか、わからん。辛垣城と桝形山城の明確な境界はないので、辛垣城の縄張りとして括ってもいいのではないだろうか。
物見山の周辺には、むき出しの岩盤や竪堀のような遺構が確認できるか、城郭といえるのか・・、思い込みかもしれない。
辛垣城跡の登り口
物見山の先に、辛垣城跡の登り口の道標あり。
やや急坂で、ゴツゴツした岩山を登っていく。
本丸の手前。虎口なのだろうか、堀切なのだろうか?江戸時代から大正時代まで、石灰石の採掘がされていたため、辛垣城の遺構は破壊されている。城郭とみるべきか、採掘跡と見るべきが、もはや想像にお任せする状況である。
辛垣城のシンボルになっている大きな岩盤。
岩盤を登ると少し土塁の上を歩けるが、ハイキングコースとしては行き止まりである。引き返すにしろ、雷電山に行くにしろ、また道標のところまで下山する。
青梅駅近くの市街地へ
辛垣城から東へ、青梅駅に向かう。
青梅駅近くの青梅丘陵ハイキングコースは、平坦な尾根道となっており、幼子でも十分歩けそうな道だ。市街地の眺めも良い。
青梅市の地名の由来を持つ、金剛寺
青梅丘陵ハイキングコースから途中、エスケープルートを通り、金剛寺に向かう。青梅山金剛寺は平将門の創立と伝わっているが、元享年間(1321年ごろ)に再興され、三田氏や北条氏の帰依を得ている。
青梅市の由来となっている「金剛寺の青梅」。平将門の伝説を持つ古木で、現在では老衰期だという。この梅は季節が過ぎても黄熟せず、落実まで青いため、青梅と称する。植物学的には突然変異とされる。
「将門誓いの梅」とも言うようで、将門がこの地にきて、馬の鞭としていた梅の枝を地にさし、「我が望み叶うなら根づくべし、その暁には必ず一寺建立奉るべし」と誓った。その後、枝は根づいて枝葉が繁茂したという。
17世紀前半から中期に建立されたと推定されている、金剛寺表門。金剛寺は1831年に火災に遭っているが、表門だけは唯一焼失を免れた。
梅岩寺
しだれ桜で知られる梅岩寺。枝垂れ桜は金剛寺の姉妹樹といわれている。
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