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【須賀川城攻防戦】 須田盛秀の和田城と、和田大仏

二階堂家重臣の須田盛秀の居城「和田城」へ行く(2013年4/26)。須賀川城攻防戦(1589年の二階堂氏VS伊達氏)において、須田盛秀は実質的な総大将を務めた。須賀川城が落城した後、須田盛秀は和田城に籠城したが焼き払い、佐竹氏の常陸へ落ち延びた。のちに佐竹義宣に仕えた。関ヶ原の戦いの後、佐竹氏が秋田(出羽)に移封されると、横手城城代となっている。

和田城には明確な城跡が感じられない。須田盛秀の居城としてみるなら、隣接している伏見館とセットに捉えたほうがよさそうだ。福島県道63号古殿須賀川線を通ると「大仏大橋」が架かっている。その橋下近くに和田大仏が鎮座しているが、和田城はその場所だという。

和田城遠景大仏大橋から見た和田城の丘陵地。

須賀川和田の大仏茂みの中ではまるで異世界のようだ。

和田大仏および横穴古墳群

和田大橋は建設計画時、大仏の真上を通る予定だったが、「真上は罰当たり」という意見もあり、若干のルート変更がされた。大仏を避けるように建設されたため、橋付近はカーブしている。

大仏大橋福島空港方面を見た様子。急カーブの大仏大橋だ。左側の丘は、二階堂氏家臣・須田秀泰が館主をしていた市野関館(万力館)。

大仏大橋
大仏大橋の下に下りたが、大仏があるようには思えない光景。川沿いにまっすく道が伸びており鬱蒼とした森が続く。所々、タイヤなど不法投棄されているのが痛々しく目に映る。森の中をよく見ると、和田大仏につながる石段が確認できる。

高さ3.6mの和田大仏
説明板によると、高さ3.6mの和田大仏は大日如来座像。横穴古墳群が築造されていた崖面に彫り込まれた鎌倉時代の磨崖仏(まがいぶつ)である。808年、弘法大師が諸国行脚のときに、三鈷という仏具で彫ったと伝えられている。

阿弥陀如来
ちなみに、ここの説明板では大日如来としているが、阿弥陀如来という説もある。

えぐられた乳部

大仏の乳部
風化による傷みもあるが、人為的に大仏の乳部がえぐれている。いつの昔か知らないが、乳の出ない産婦が、母乳が出る信仰から削った粉を煮立てて飲んでいたらしい。

横穴墓

古墳時代の横穴墓
和田大仏の周辺では、古墳時代の横穴墓が数カ所見られる。石背の国(岩瀬郡)の中心地であったと思われ、阿武隈川流域を中心に支配していた豪族の墓跡と考えられている。仏が彫られていたようだが、輪郭しかわからないくらい風化している。

須田盛秀
先ほど説明したように、この和田大仏がある崖一体は、二階堂氏の重臣・須田盛秀の和田城だったという。四天王と呼ばれ、伊達政宗戦では総大将を務めた須田盛秀が籠城したというが、籠城できるだけの防衛機能を持つ城とは思えない。

須賀川城にまつわる城館

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