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城下町よりも低い穴城、江戸期には仙石秀久により改修

小諸城

長野県小諸市にある小諸城を登城した(2021年7月)。別名では酔月城、穴城、鍋蓋城、白鶴城と呼ばれる。小諸城は城が城下町より低い位置にある「穴城」で、現地案内板では日本で唯一の穴城としている。浅間山の田切地形を利用した守りになっており、背後は千曲川に面した断崖である。小諸城の築城については、大井氏が築城した鍋蓋城(1487年)と乙女城(1533年)の2城が原型とされ、大井氏が追放されると、武田信玄の家臣・山本勘助が小諸城の基礎となる縄張りを行ったと伝わっている。江戸初期には小田原合戦で活躍した仙石秀久により城郭が改修され、門や櫓が整えられた。第一次・二次上田合戦(1585年/1600年)にて、小諸城は2度に渡り徳川軍の前線基地として使われ、二の丸は徳川本陣が敷かれた。

市営公園小諸城址懐古園三の門から先は懐古園として整備され、登城には入園料が発生する。敷地の多くは宗教法人 懐古神社が所有しており、小諸市に賃貸することにより賃借料を得ているため、政教分離問題が発生している。

築城から廃城まで

鍋蓋城が築かれた1487年、大井光忠(小笠原氏流 大井氏)によって鍋蓋城が築かれたのが小諸の町の始まり。当時は館に近い規模だった。1533年には鍋蓋城の支城として乙女城(白鶴城)が築かれ、その鬼門の方角に成就寺や養蓮寺が建てられた。この2城が小諸城の原型とされる。※諸説あり

1554年、武田信玄により大井氏が追放されると、家臣の山本勘助が新たに縄張りを行い小諸城と城下町を整備したとされる。このように現在に近い小諸城の基礎設計は山本勘助によるものと伝わっているが、根拠となる資料はなく、あくまで言い伝えでしかない。武田信豊(武田信繁の次男)が小諸城主だったという説があるが、これも確証はない。

武田勝頼の時代では、下曾根浄喜(武田氏庶流)が城代を務めていた。1582年、織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻すると、武田信豊は小諸城に逃れたが、寝返った下曾根浄喜によって二の丸で討ち取られた。浄喜はその首を織田信長に進上したが、逆に誅殺さたという。

武田氏滅亡後は、織田家臣・滝川一益が領し、小諸城代は道家正栄が務める。本能寺の変の後、滝川一益は退去、依田信蕃を経て徳川氏に引き渡された。1590年、小田原征伐の功績で仙石秀久が5万石の大名に返り咲くと、小諸城に入城した。その子、仙石忠政が2代小諸藩主となるが、1622年に上田城へ転封となる。その後、松平氏、青山氏、酒井氏と続き、1702年に牧野康重が入ると、明治維新まで牧野氏の居城となった。江戸期、小諸城の城下町は「本町・市町・荒町・与良町」で構成され、本町と市町は北国街道の宿場町であった。

維新後には廃城となったが、1880年、旧小諸藩士らが資金を集めて小諸城(三の門~本丸跡)を払い受けた。本丸跡に懐古神社を建て花木植えて公園化し、懐古園と命名した。大正12年に皇太子(昭和天皇)が行啓されると懐古園の知名度があがり、その3年後には長野県最古となる動物園が開園するなど近代的な市民公園へと整備された。

江戸期の小諸城~ 仙石秀久が改修した城郭

小諸城郭絵図1663年の小諸城郭絵図を基にした現地縄張り図。石垣を用いた現在のような構えは仙石秀久の改修によるもの。

「桜馬場」と江戸初期の絵図三の丸では、大手門を入った少し先で防御のため道が狭くなっている。この道は「桜馬場」と江戸初期の絵図(1674年)に描かれ、馬場沿いに桜が植えられていたという。家臣の登城には足柄門が使われていたそうだ。現在では三の丸と二の丸の間を鉄道が通っている。

なお、現存する建造物は当地の大手門と三の門。そして足柄門は光岳寺の山門、黒門は正眼院の山門として移築現存している。

本丸御殿に至る二の門より西へ本丸御殿に至る。

大手門(四の門、瓦門)

4番目の門なので「四の門」正門である大手門は本丸から数えて4番目の門なので「四の門」という。小諸城主の仙石秀久が江戸の大工を呼び寄せ築造した。1612年の建立とされる。石垣と門が一体化していない、2階は居館形式を取るなどの特徴がある。当時は瓦葺きの屋根が珍しかったため「瓦門」とも呼ばれた。明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮塾舎や料亭として利用されてきた。平成3年には小諸市に寄贈され、平成5年に重要文化財となる。1720年の修理記録があり、平成16~20年には復原・大修理が行われた。

ちなみに、明治32年には島崎藤村が小諸へやってきて小諸義塾に赴任している。小諸で過ごした7年の間に、「雲」、「千曲川のスケッチ」、「落梅集」、「破戒」が起稿された。

小諸義塾に赴任大手門の石垣。

三の門

寄棟造の二層の城門である「三の門」国指定重要文化財(所有者は懐古神社)、寄棟造の二層の城門である「三の門」。1615年、大手門と同様に一連の造営で建造されたが、1742年の洪水(戌の満水)によって流失している。その後の明和2年(1765年)に再建されたものが現存している。正面に掲げられた「懐古園」の大額は徳川家達の筆。門の奥に見える小屋が懐古園の料金所で、その先は二の丸に至る。小諸城の三の門は、「サザエさん」のオープニングにも登場している。

三の門二の丸・石垣側からみた、三の門。

徳川秀忠公 憩石(いこいいし)ちなみに、三の門よりやや東側(絵図だと花見櫓のあたり)に、徳川秀忠公 憩石(いこいいし)が置かれている。1600年、関ヶ原合戦の出陣途中である第二次上田合戦にて、徳川秀忠軍は小諸城を本陣としたが、その在陣中に徳川秀忠が腰をおろした石と伝わっている。

二の門と二の丸

小諸市二の門跡二の門跡。

二の丸跡の様子二の丸への階段と二の丸跡の様子。第一次上田合戦(1585年)、二次(1600年)にて、小諸城は2度に渡り徳川軍の前線基地として使われ、二の丸は徳川本陣が敷かれた。

北の丸の東隣には番所北の丸。現在は弓道場。北の丸の東隣には番所が置かれていた。

南の丸南の丸。

本丸御殿跡と天守台

傍らには山本勘助が愛用したとされる鏡石黒門橋を越え黒門跡を通り懐古神社に至るが、そこが本丸御殿跡。傍らには山本勘助が愛用したとされる鏡石が置かれている。

三層の天守閣が建てられていた天守台天守台。三層の天守閣が建てられていたが、1626年の落雷により焼失している。その後は政策により再建されなかったと言われる。

小諸城の天守台天守台に登れるが、柵はないので細心の注意が必要。

怖いけどいい眺めだ天守台天守台から馬場跡(小諸八重紅枝垂れのあたり)を見下ろす。怖いけどいい眺めだ。柵など付けられたら興ざめするので、くれぐれもアホな行いは慎むように。

大堀切(地獄谷)

地獄谷天守台から北側にある大堀切。地獄谷とも呼ばれている。田切地形を実感できるビューポイントだ。

水の手小諸城の背後(西側)を守る断崖絶壁。「水の手」と呼ばれる北側の展望台から千曲川を眺める。

富士見展望台南側の富士見展望台からの千曲川眺望。ここは標高657mで、天気が良ければ110km先の富士山が眺めることができる。武田信玄が小諸城を支配していた頃、ここに狼煙台が置かれ、川中島合戦では進撃する上杉謙信の動きを狼煙で伝えたという。狼煙は2時間足らずで伝わったと言われる。ここから堀切を挟んで動物園(江戸時代は籾蔵)につながっている。

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