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江戸城 見附を巡る外堀散策 その2

雉子橋門~常盤橋門までの見附(日本橋川)

江戸城外堀は、雉子橋門から渦巻きの形(のの字)で時計回りに諸門(見附)をめぐり、牛込門を経て神田川に入り、浅草門で隅田川に合流する堀となっている。一般的には、雉子橋門を「見附が置かれた外堀」の起点として紹介されることが多い。

この頁では雉子橋門を起点として常盤橋門まで、日本橋川(旧平川)に置かれた外郭門(見附)を巡っていく。なお、呉服橋門以南は「外濠川」に置かれた見附なので次の頁で紹介する。常盤橋門以東の日本橋川(下流)は日本橋を経由し見附のない堀へ流れていく。

まず、雉子橋門の前に堀留から巡ることにする。

見附を巡って外堀散策するなら雉子橋を起点とすべきだが、雉子橋の上流(ルートと逆の方向)にある堀留を先に見ておく必要がある。堀留という呼び名から判るように、江戸城の改修で旧平川(現在の日本橋川)の流路は埋め立てられ、堀留(現在の新川橋がある位置)で締め切られていた。そのため堀留から続く時計回りの外堀は独立した堀になった。ちなみに、堀留の北に向かうと小石川門がある。堀留については【江戸城 外堀の概要】を参照。

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プロローグ ~ 堀留

見附のある雉子橋から堀留までは比較的小規模な外堀となっており、飯田川と呼ばれていた。

江戸時代、雉子橋から堀留までの間に2つの橋が架けられている。

俎橋(まないた-ばし)は西方の九段坂(靖国通り)と結んでおり、北の丸の田安門に至る。俎橋は現在も同じ位置に橋が架けられている。諸説あるが、橋が2枚のまな板を渡したような板橋であったことに名前の由来があるという。近くに台所町があったことに由来するという説もある。現在の俎橋は1983年(昭和58年)に鋼桁橋に架け直されたもの。

蜻橋(こうろぎ-ばし)は西方の冬青木坂(もちのきざか)と結んでいる。冬青木坂は、駐日フィリピン大使公邸(旧安田岩次郎邸)の南側の坂。蜻(とんぼ)と書いて「こうろぎ」と読むのが謎だ。

現在、蜻橋の位置には橋は架かっていない。蜻橋の所からわずか北30mほどの上流に堀留橋が架けられたので、堀留橋が蜻橋の代替となったのだろう。堀留橋は専大通りに架けられた橋なので、蜻橋が架かっていた場所では不都合だったと思われる。

専大通りに架かる堀留橋。古地図をみると江戸時代に堀留橋という橋は無いし、ここには橋は架かっていない。当時、このあたりから水濠が先細になって途切れるが、堀留橋の上流約120m、現在の新川橋がある所で水路が途切れる。

もちろん、江戸時代には新川橋は架かっていない。現在の橋は昭和2年(1927年)に架けられた。江戸城の改修で旧平川(現在の日本橋川)の流路はここまで埋め立てられた。つまり、ここを堀留というのが相応しいと思われる。ただし、1903年に再び開削された現在では、日本橋川の上流として神田川(小石川門跡)までつながっている。再び開削した流路を新川として「新川橋」と呼んだのだろう。

新川橋から北上し、あいあい橋を越えると突き当りに神田川が見え、その合流点が小石川門跡である。堀留より北側なのでかつては外堀はなく陸地であった。今回は外堀を時計回りに巡るので、順を追って小石川門は後ほど紹介する。

埋め立てられた流路(堀留の北側・小石川門の南)には、讃岐高松藩の上屋敷および中屋敷があった。ちなみに、高松藩の下屋敷は白金長者屋敷跡にあった。

高松藩 初代藩主は、徳川光圀(水戸黄門)の同母兄の松平頼重。頼重は松平頼常(光圀の実子)を養子に迎え家督を譲った。一方、光圀は徳川綱條(頼重の実子)を養子に迎え家督を譲った。こういった水戸徳川家と高松藩との後継ぎトレードは何度か行われており、15代将軍の徳川慶喜は松平頼重の直系子孫である。

当時は埋め立ててあるが、日本橋川を挟んで西に上屋敷、東に中屋敷の配置になっている。1999年~2000年の飯田町遺跡発掘調査で、讃岐高松藩の上屋敷 庭園に造られた池跡が発見されている。神田上水を引き込んだ池で釣りをしていたと思われる漆塗りの浮きが出土している。そのほか、国元から運ばれたとされる庭石の景石や理平焼が出土している。

また同調査で、江戸時代初期の石垣や土留め板の護岸跡(幅10mほどの堀)が発見されており、江戸城の改修で埋められた平川の名残と考えられている。

雉子橋門

日本橋川に架かる現在の雉子橋。現在の橋は関東大震災後の大正15年に架けられたもので、江戸時代の雉子橋はここより約100m上流にあり東西に架かっていた(現在の橋は場所も違うし南北に架かっている)。徳川家康の時代、朝鮮からの使節を饗応するため好物の雉をこの付近の鳥小屋で飼育していたことが名称の由来になっている。

古地図から江戸時代の雉子橋の位置を割り出すと、日産自動車販売 九段店のビルに架かる状態になる。写真では上流(堀留方面)を向いている。隅角部の石垣が一部残っている。

雉子橋の枡形石垣は日本橋川と清水堀の間に跨っており、場所は今の内堀通りで首都高の高架下あたり。江戸城では外堀と内堀が最も接近している見附である。1629年に松平直良の普請で門が築造され雉子橋が架けられた。外堀に配置された見附のうち最も江戸城本丸に近いため、厳重な警備が施された。

櫓門は1873年(明治6年)に撤去。橋は1903年(明治36年)に鉄橋に架け替えられたが、1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けた。1925年(大正14年)に、下流100mの場所に変えて現在の鋼製アーチ橋が架けられた。

現地の案内板にあった古地図。雉子橋門から外堀の規模が大きくなっている。雉子橋門から堀留までは水路というべきか。下流約300mには一橋門がある。

現在の雉子橋の南詰に警視庁麹町分庁舎があるが、そこには石垣の建造物がある。ただし古地図をみると、この位置は水堀の中に位置している。石材を利用しただけのものなのか、詳細不明で紛らわしい存在である。

雉子橋から出土した石材は、石積技法「打込みハギ」の再現展示に利用されている。展示場所は、市ヶ谷駅の江戸歴史散歩コーナー(東京メトロ南北線コンコース内)

雉子橋門から一橋門の間にある外堀石垣。1636年の天下普請により、雉子橋から虎ノ門までの外堀石垣化が行われている。

一橋門

現在の一橋は関東大震災(1923年)の後、1925年に架けられたもの。一橋は徳川家康が江戸に入封した時にはすでに架けられており、江戸城が小田原北条氏の支城だった時から橋は架けられていた。大きな丸木が一本架けられていただけの橋であったことがら、一橋(ひとつばし)と呼ばれたという。

17世紀中頃は、付近に松平伊豆守の屋敷があったので「伊豆殿橋」と呼ばれた。

1740年から門内に一橋徳川家(田安家・清水家とならぶ徳川御三卿)の屋敷があった。一橋門から神田橋門までの範囲と広大な屋敷であった。

明治4年の一橋門(現地説明板より)

現在では高石垣が僅かに残っている。

一橋門の石垣は1629年に築造されたが、1873年(明治6年)に撤去された。

この先、下流の神田橋門に向かうが、外堀石垣が続いている。

一橋門から神田橋門までの範囲が御三家・一橋徳川家の屋敷だった(写真ではこの対岸が屋敷跡一帯)

神田橋門(将軍の御成門)

現在の神田橋は1980年に開架されたもの。神田橋門は1629年に、下野真岡藩主の稲葉正勝(春日局の子)によって構築された。徳川将軍が上野寛永寺に参詣する御成道であったため門の警備は厳重であった。

神田橋門は江戸城の鬼門にあたる。北東の上野寛永寺で邪気を浄化し、神田橋門付近には一橋徳川家や出羽鶴岡藩酒井家など徳川家とつながりの強い大名家を配置して、さらに気を浄化している。

平将門を祀った神田明神は、古来、神田橋門内(芝崎村)に鎮座していた。しかし、1603年の江戸城改修にあたり神田駿河台に移り、1616年に現在の場所(千代田区外神田2丁目)に移った。遷座しても鬼門の方角に置かれている。

現在と江戸時代の橋の位置。ならびに、1871年の神田橋門の様子(現地説明板より)。1873年(明治6年)に櫓門が撤去され、1884年に木橋が架け直されたが関東大震災で焼失した。その後も再び架橋された。現在、橋の横に僅かだが枡形の石材が残っている。

大正14年の神田橋。

神田橋 下流側の石垣。

神田橋門外の対岸は鎌倉河岸で、江戸城築城では資材を荷揚げする重要な河岸場であった。※となりの鎌倉橋は昭和に架橋されたもので当時は存在していない。

鎌倉橋 ※昭和4年に架橋(荷揚げ場の鎌倉河岸 跡) 

神田橋から東200mほどの下流には鎌倉橋が架けられている。これは1929年(昭和4年)に架けられた橋で、江戸時代には橋は架かっていない。橋の名称は対岸の鎌倉河岸に因んでつけられた名称である。神田橋門近くに鎌倉河岸という荷揚げ場があったことを紹介しておく。訪問時には鎌倉河岸跡にビル建設の工事が始まっていた。

江戸城の築城では相模国鎌倉から運んだ木材や石材を荷揚げしたため、鎌倉河岸と呼ばれた。魚や青物などの生鮮食品も集まり、水上交通のターミナルとして賑わった。1657年の絵図には隣接する町に鎌倉町と記載されている。

ちなみにこの鎌倉橋、1944年11月、米軍による爆撃と機銃掃射を受けたが、鎌倉橋の欄干には銃弾跡が30箇所ほど残されている。

銃弾跡。機銃掃射で追い回されて橋の下に逃げたという話もあるから、鎌倉橋でもそのような惨劇があったのだろう。

穴埋め補修されているけど、必要だったのかな?

比較的浅い銃弾跡はそのまま。

鎌倉橋から見える江戸城 外堀の石垣(当時でいうと、鎌倉河岸から見えた石垣)。古地図で見ると、福井藩松平家の屋敷跡あたりになる。

鎌倉河岸では豊島屋という酒屋があって、そこで販売されていた「白酒」が有名であった。

鎌倉河岸跡の説明板。この奥が跡地だが、2024年現在、ビル建設が進んでいた。

関東大震災直後の鎌倉河岸。奥の橋はおそらく常盤橋。

常盤橋門

常盤橋門は、江戸城の正門である大手門に接続する外堀側の門であり、軍事上重要な位置にある。場所は現在の常盤橋公園。

1629年出羽・陸奥の大名によって築造された。奥州道中につながる江戸五口のひとつで「追手口」とも呼ばれた。また、浅草に通じていることから、「浅草口橋」ともいう。徳川家康が江戸入封して日本橋が交通の軸になる以前は、この常盤橋(元・大橋)が交通の軸であった。

常盤橋門の構造は内枡形門の形式で、北側に渡櫓とそれを支える石垣がある。門をくぐると大番所が配置されている。東には冠木門、ほかの三方には土手が巡らされていた。

明治時代になると、常盤橋門の建造物は破却されたが、残った枡形石垣の一部が国史跡に指定された。

北側、渡櫓の石垣。

南側の護岸石垣。

常盤橋公園では、石垣保存に功績のあった渋沢栄一像が建っている。

明治時代に架けられた、常磐橋

明治時代になると常磐橋門の建造物は破却され、1877年(明治10年)には、堀に架かっていた木橋が石橋のアーチ橋に架け替えられた。新たに石橋になったので、常磐橋(漢字が石を指す「磐」)とこだわりの表記がされる。

現存している石橋の常磐橋。東京都内で現存する石橋では最古。関東大震災で崩落の危険があったが保存運動があり国史跡に指定され復旧整備された。2011年の東関東大震災でも甚大な被害を受けたが、2012~2020年にかけて修繕事業が行われた。この際の調査で、基礎に小石川門の石材を転用していることが判明したという。

昭和に架橋された、道路橋の「常盤橋」

こちらはもうひとつの常盤橋。常盤橋公園より70mほど離れた下流にある道路橋の「常盤橋」は、関東大震災後の復興計画で建設された橋であり、江戸城の常盤橋門とは関係がない。ちなみに、こちらは「盤」の字を用いた常盤橋になっており、明治期に架けられた「磐」の常磐橋と区別されている。さらに下流で一石橋に差し掛かる。

一石橋(日本橋川と外濠川の分流点)

見附ではないが、一石橋は日本橋川と江戸城「外濠川」の分流点に架けられた橋で、現在の外堀通りを通している。ここで分岐した外濠川は「東京都道405号外濠環状線(通称・外堀通り)」となっており、赤坂門まで水堀が消失している。日本橋川は隅田川まで続いており、途中で日本橋に差し掛かる。

江戸時代初期に一石橋の元となった木橋が「武州豊島郡江戸庄図」で確認されている。橋が破損した際、近くに屋敷を構える呉服商・後藤縫殿助と金座御用・後藤庄三郎の援助により再建された。後藤を五斗にもじって、「ふたりの後藤」=「五斗+五斗」で一石とする洒落が橋の名称由来だと伝わっている。

1922年(大正11年)、RCアーチ橋として改架された。親柱が都内最古であることが認められ、区民有形文化財建造物に指定されている。

一石橋の橋詰には、迷い子探しの情報交換に使われる石標「迷い子のしるべ」 が設置されており、迷い子の保護に利用された(東京都指定有形文化財)。湯島天神や浅草寺、両国橋など往来の多い場所に同様の石標があったが、現存しているのは一石橋のものだけである。

以上が、日本橋川に置かれた外郭門(見附)、雉子橋門~常盤橋門 編。

次の見附は呉服橋門であるが、一石橋から分岐した外濠川のほうへ続く。日本橋川は見附のない下流の日本橋方面へ流れていく。

次の頁では「呉服橋門~虎ノ門」までの見附を巡る。これらは外濠川や汐留川、溜池の先に配された見附であるが、すべて埋め立てられている。そのため主に外堀通り(東京都道405号外濠環状線)の陸路となる。

その3: 呉服橋門~虎ノ門までの見附+溜池(埋め立ての外堀通り)
【TOP: 江戸城 外堀の概要

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