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DELLパソコン旅行記。武田勝頼と武田家滅亡に関わる山城

岩殿城。小山田氏の名城、稚児落しの悲話

山梨県大月市賑岡町にある小山田氏の名城、岩殿城(いわどのじょう)を登城した。岩殿山城と呼ばれることがあるが、県指定名称は岩殿城跡である。岩殿山は標高634メートルであり、同じ高さであるスカイツリーが建設されたときは、少し注目された(ただ標高なので同じ高さの眺めというわけではない。)また、2016年の大河ドラマ「真田丸」の、1~2話では物語のキーとなる城なので、再び注目されたかもしれない。(記事は、2015年6月に登城したときのもの)

甲斐武田氏の家臣 小山田氏が治めたこの山梨県東部は郡内と呼ばれ、武田信玄が小田原北条に備えた拠点だった。小山田氏は外交に尽力し、経済安定のため郡内織を奨励していたという。

岩殿城-いわどのじょう天然の要害に守られた岩殿城の遠景。なお、郡内領主小山田氏の居館は谷村館だが、詰城は岩殿城とされてきた。しかし、距離の問題から近年では山梨県都留市川棚の勝山城が詰の城ではないかと言われる。

1582年の織田軍による甲州征伐では、小山田信茂は新府城から敗走する武田勝頼に岩殿城での籠城を薦めるが、織田方へ寝返り、武田勝頼を郡内に入れなかった。窮した勝頼は天目山の戦いをもって自害。甲斐武田氏は滅亡した。その後、小山田信茂は武田氏への不忠を咎められ織田信長に処刑された(甲州征伐の総大将は嫡男の織田信忠)。 一般的には武田家を滅ぼすきっかけを作った家臣として知られるが、当地では小山田氏の謀反を否定している解説がみられ、見解が異なるようだ(後述)。

武田勝頼の代わりに、いざ!岩殿城へ向かう

岩殿山城(いわどのやまじょう)と呼ばれる武田勝頼がたどり着くことができなかった岩殿城に、いざ参る。岩殿山城(いわどのやまじょう)と呼ばれることがあるが、県指定名称は岩殿城跡である。右下の方に「岩 殿 城 跡」という看板が見える。露出した岩肌のところは、鏡岩と呼ばれている。

大月駅から岩殿城跡大月駅からでもよく見え、大月市のシンボルにもなっている。20年ぶりの大月駅下車だ。都留自動車教習所の合宿所以来であり、懐かしさを感じた。当時は岩殿山が城址とは知らなかった。

岩殿山の登山口桂川の橋を渡り、岩殿山の登山口に到着。大月駅から10分くらいか。

岩殿山に関する説明板まずは冠木門がお出迎え。岩殿山に関する説明板が立っている。岩殿山は9世紀末に天台宗の円通寺として開創されたと伝わる。10世紀の初めには三重塔、観音堂などの建物が並び門前町が形成され、13世紀には修験道の修行場として栄えた。

岩殿山は武田・小山田氏の支配ここから良いアングルで富士山を眺めることができる。

16世紀の戦国期に入ると、岩殿山は武田・小山田氏の支配を受け、岩殿城として武蔵や相模の勢力に備える拠点とされた。中津森(都留市宝町)から岩殿城へ直通できる岩殿橋が完成した記述から、岩殿城築城は1510年ごろだという。山頂からは富士山、丹沢山、笹子峠、大菩薩山地が一望できる。眼下の桂川や葛野川が天然の外堀として要害の役割を果たした。1582年に武田および小山田氏が滅ぶまでの約70年間、戦国の名城として機能した。後に徳川氏によって利用されたが、江戸幕府が開府したころには廃城となっている。その後でも岩殿山円通寺は法灯を伝えていたが、明治初期の神仏分離政策により途絶えてしまった

歴史には諸説あるが、当サイトでは現地の説明板や資料館の情報を基にしている。

山梨県指定名称そして、「岩殿城跡」看板の位置まで到着。山梨県指定名称では、岩殿山城じゃなくて岩殿城ね。

岩殿山中腹の、丸山公園

岩殿山は急峻な岩山岩殿山中腹の丸山公園に到着。円形の展望台が名前の由来か?ここにて444.4mの高さ。岩殿山は急峻な岩山であるため、あまり大きな施設が敷けない地形である。それなら昔はこの辺りに御殿を築いたのかもしれない。

岩殿山ふれあいの館それにしても、ここからは鏡岩の眺めがよい。丸山公園内にある「岩殿山ふれあいの館」で、岩殿城や小山田氏について学べる。

謀反で滅亡させた小山田氏よそ者からすれば、とくに甲府の者からすれば「木曽義昌とならび、甲斐武田家を謀反で滅亡させた小山田氏」という解釈だが、当地では逆に英雄視している解説だった。勝頼を見限ることで、領地を戦火にさらさず守りぬいたという解釈である。

落城の道ハイキング本日の登城ルートを確認。山頂の本丸まで行ったら、少し引き返して分岐点に戻り、稚児落しに向かう。大手門、築坂峠、兜岩~呼ばわり谷の大岩壁(稚児落し?)のルートは「落城の道」として整備されていたらしい。落城の道ハイキングと呼ぼうか。

小山田氏が整備していたという、落城の道

「岩殿山ふれあいの館」で説明されている「落城の道」の内容は以下の通り。

1582年3月、武田勝頼は築城して間もない新府城を焼き払い、岩殿城に向かって敗走していた。岩殿城城主の小山田信茂は織田方の命令で甲斐善光寺に出頭する事態だった。岩殿城は北条勢によって攻撃されており、小山田氏の残された婦女子は、平時より整備されていた「落城の道」を通り脱出することになった。

堅手門から大手門、築坂峠、兜岩、呼ばわり谷の大岩壁(稚児落しの前の呼び名か?)へと来た時に、夫人が背にしていた子供が泣き出し、泣き止まないどころか他の子供も泣き出し、敵に発見されてしまった。夫人はやむを得ず、子供らを岩壁上から落とし、雁が腹摺り山(大菩薩山塊のひとつ)方面へ落ち延びた。子供らに最後水を飲ませたところを「水くれ堂」、子供らを落とした150mの岩壁を稚児落しと呼ぶようになった。

雁が腹摺り山に向かった夫人は峠で従者の小幡と別れ、受け取ったつづらを持ち、小和田郷の東光寺へと急いだ。この峠は村人からつづら峠と呼ばれている。東光寺は小山田氏縁の寺で、夫人はこの寺の床下で自刃したという。

稚児落しで捨てられた子供は、浅利郷の名家の子として成人したといい、後年、残された稚児鎧により物語が伝承されていった。当時は武田家を滅ぼした織田・徳川を恐れて語られなかったが、この稚児は後に天神社に祀られた。

1582年3/24日、小山田信茂一族は武田への不忠を咎められ織田方によって甲斐善光寺にて処刑されたが、領内には占領軍の侵入はなく小山田氏の寺社や家臣団・領民は安泰であった。

というのが、現地の説明だ。稚児落しに関してはちょっと内容の異なる伝承もある。

岩肌の城悲話の舞台とはいえ、関東には岩肌の城がなかなかないのでかなり楽しい登城だ。

当地では、小山田氏の謀反を否定している

武田勝頼は巨費と多くの犠牲を払って完成させた新府城を僅かな期間だけ住み、戦況が不利になったからと焼き払い灰燼に帰した。新府城を捨てた勝頼は郡内に向かった。籠城で城を守りぬくには1万の兵が必要だが、勝頼の動員に応えた兵は千人だという。勝沼大善寺に到着したころは、従者が100人以下だった。勝頼夫人が韮崎武田八幡神社に再興を祈った願文には、逆臣がでて軍勢の心が一致しない状況を記している。大善寺に居合わせた理慶尼(武田信虎の妹)は勝頼一行の哀れで惨めな姿を記録している。

このような勝算のない軍を岩殿城に迎え入れたなら、織田・徳川軍に包囲され郡内は焦土化されただろう。結果的には、岩殿城での戦いはなく、小山田軍将兵に戦犯者もない。民家や小山田氏の文化財も戦火にさらされなかった。小山田氏の犠牲により郡内は戦国期を切り抜け平穏な時代を迎えたとある。

江戸時代になると小山田氏の身分や功績が曲解され、誹謗中傷の中、一族や家臣団の墓石が破壊された。甲斐善光寺にある小山田氏の墓にも避難の看板が立てられた。

・・という説明であり、そもそも小山田信茂が岩殿城の籠城を薦めたことには触れていない。武田家の家臣というより傘下に置かれただけの関係と言わんばかりの扱い。

小山田信茂が岩殿城の籠城を薦めた丸山公園よりもさらに高くからの眺望。城に興味がなくても充分楽しめるハイキングコースだ。

岩殿城縄張り

岩殿城縄張り案内図揚城戸から先の岩殿城縄張り案内図。城郭に興味が無い人は、だいたい南物見台の展望台で引き返してしまうようだ。

揚城戸跡

揚城戸揚城戸跡は、第二の関門と呼ばれた城門跡。巨大な自然石を利用している。

番所跡

揚城戸の番兵の詰所揚城戸跡の先すぐ近くに番所が置かれている。揚城戸の番兵の詰所で、雨露をさけるための建物があったという。

西物見台

円通寺の修験者が修業したであろう岩場史実としての記録はないが、西物見台とされている。また円通寺の修験者が修業したであろう岩場であった。かつて礫岩の大きな露頭が見られたが、風化や侵食が進んでおり、平成11年に崩落を危惧して8mほどの規模を破砕撤去した。この時期は生い茂っており形状がよく分からなかった。

馬屋

馬屋の右を行くと展望台があり、そこが南物見台となっている。東屋があるのでそこで昼食タイム。

南物見台(岩殿山 展望台)

展望台南物見台の展望台。明治期の陸軍大将 乃木希典の詩碑がある。明治12年に登頂した記念碑のようだ。東京都港区赤坂でみられる乃木坂の名称はこの人が由来している。

南物見台展望台(南物見台)からの眺め。

南物見台から東方面の眺望。

西側の眺望。南西に富士山が見える。

馬場跡

最も広い面積を有する馬場跡。馬や兵士の訓練場であり岩殿城で最も広い面積を有する場所。

用水池

左が、馬や兵士の水浴に使った馬洗池。右が飲料水に使った亀ヶ池。

馬洗池。

亀ヶ池。僅かではあるが湧水しているようだ。岩場の城としては、この地に井戸があるのは珍しい。

蔵屋敷跡

武器、弾薬、食糧、燃料、生活品などの保管がされた場所。

岩殿城 本丸

3つの物見台を統合した場所が本丸で、防衛や進攻の指令を発した。今は電波塔が建っており探索には邪魔くさい。

烽火台本丸に置かれている狼煙台。烽火台と彫られた標柱が立っており標高634mの表記。つまり狼煙台が最も高い場所か。となると、展望台にあった「岩殿山634m」は勘違いする標柱である。確かに岩殿山は標高634mだけど「そこが」とは言っていない。

空堀本丸奥にある空堀。マップによればこの案内板の奥にある曲輪が東物見台のようだ。

稚児落しまでのルート(落城の道コース)

揚城戸跡よりさらに下まで戻り分岐点へ。ここから稚児落しに向かう道「落城の道コース」を進む。小山田氏は非常時に備えてこの脱出路を整備していたらしいけど。

築坂

築坂は大手口にに備えられた空堀。丸山公園からの入城は正規ルートではないようだ。築坂峠というのはこの辺を指すのか。

兜岩

兜岩の手前あたりの景色。振り返ると岩殿山が見える。

兜岩に向かって進む。

兜岩のトラバースに遭遇。ロープがあるし下を見なければ問題なく進めるのだろうけど、今回は70歳になるオカンが同行しているため巻き道の林間コースを通る。滑落のリスクは軽減できるであろう。

岩殿山城 林間コース林間コースといっても、ロープを使っての急降下。ここからでも兜岩の岩肌を観察できる。

巻き道の林間コースオカン、ロープに絡まって回転!足腰がいけるうちに山に行きたいという要望を聞き同行させたが・・。

悪路を奮闘しております。

天神山

天神様天神山到着。天神様の祠が鎮座している。稚児落として落とされた子供は生き残り、その後、天神社に祀られたらしいが、ここのことだろうか?

少し進めば、またよい景色が眺望できる。

岩殿城の名スポット!稚児落しの絶壁

稚児落しの絶壁風景ようやく稚児落しの絶壁が見えてきた。資料館で「呼ばわり谷の大岩壁」と言っていたのは、稚児落し事件の前に呼ばれていた名称なのだろうか?

オソロシヤの稚児落し稚児落しからの眺望。真下を撮影する勇気はなかった。

稚児落しのエピソード稚児落しから見た岩殿城。脱出中の小山田氏婦女子はどんな思いだったことか。稚児落しのエピソードでは、資料館にあった情報とは若干異なる伝承があるようだ。そちらは名前まではっきりしている。

主(小山田信茂)のいない岩殿城は織田勢に包囲された。信茂側室の千鳥姫は従者の小幡太郎らに護衛されながら、信茂の次男「賢一郎」と赤子の万生丸を連れて脱出を図る。万生丸が泣き出したため、小幡太郎は千鳥姫から万生丸を取り上げ、「稚児落とし」から投げ捨てた。

以上、岩殿城登城レポート。

2016年大河ドラマ「真田丸」、第1話~2話 小山田信茂登場編の感想

2016年の大河ドラマ「真田丸」では、温水洋一が第1話~2話にて小山田信茂を演じている。寝返る前から胡散臭さを漂わせ、そして寝返り先である織田方に処分され、最終的には哀れな醜態を晒す演出であった。(武田勝頼の首桶を見て、恐れおののく温水洋一、さらに穴山梅雪も同じじゃんかよっ!って愚痴る。)勧善懲悪が好まれるドラマでは、やっぱりそうなってしまうのだろう。ただ、寝返ると言っても、あからさまに矛先を向けたのではなく見放したという点ではイメージどおりかな。
郡内では英雄視されている小山田信茂だけに、地元の方はあの演出にどう思われたことか・・。そもそも、小山田信茂役に武将のイメージに合わない「ぬっくんかよ?」と思われたのでは?

武田勝頼が自刃したのは、天正10年3月(1582年4月)。その約3ヶ月後には本能寺の変が起きたため、もしも岩殿城で籠城して時を稼いでいたら、また真田氏の岩櫃城を選択していたなら、歴史は大きく変わっていたかもしれない。(岩櫃城でも離反された、なんてオチも考えられるけど。) しかし、鉄則だが「歴史にはもしも」はない。

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