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1589年10月26日、二階堂氏VS伊達政宗

須賀川城の攻防図と古戦場

1589年、伊達政宗の計略を知った二階堂家家臣や領民が、松明を手に十日山に集まり徹底抗戦を決意した。すでに政宗は岩瀬地方西部の諸将を取り込んだり内通者を味方につけていたので、二階堂勢が松明を灯して密かに団結したのである(松明あかしの由来)。同年10月26日、辰の刻(午前八時ごろ)に伊達政宗の攻撃が始まり、須賀川合戦の戦端が切られた。特に八幡崎城(八幡山)では須田七騎と塩田右近らの東部武士団に佐竹氏の援軍が加わり、伊達軍と最も熾烈な戦いとなった。

須賀川駅の画像とりあえず、須賀川駅の遠景。

二階堂氏&佐竹氏ほか(加勢) VS 伊達政宗&二階堂寝返り衆

須賀川二階堂氏、須田氏、岩瀬の東部衆と河東衆須賀川勢には、二階堂氏、須田氏、岩瀬東部衆、河東衆。その援軍には岩城衆300、竹貫衆500、佐竹衆200がある。一方、岩瀬西部衆は寝返って伊達勢に従軍している。各武将が布陣した場所は陣馬山(山寺城)、雨呼口(あめよばりぐち)、大黒石口、八幡崎城、方八丁館となっている。

須賀川城攻防図

須賀川城の攻防図と古戦場 方八丁館 1589年10月26日、伊達政宗と二階堂氏の合戦における須賀川城攻防図。藤葉栄衰記(野川本)・奥陽仙道表鑑より。須賀川市立博物館の展示資料を撮影したもの。須賀川城攻防の主戦場は、雨呼口(あめよばりぐち)、大黒石口(だいこくいわくち)、八幡崎城である。現在の地図と当てはめると、かなり距離感がおかしい。

陣馬山(山寺城)~伊達政宗の本陣

陣馬山(山寺城)須賀川城攻防図によると、陣馬山が伊達政宗の本陣だという。陣馬山は山寺城であり二階堂家の四天王「遠藤勝重」の城だったという。応仁武鑑によると遠藤綱元が築城し、遠藤家代々の居城である。古くから会津街道の要地であった。釈迦堂川の北岸にある独立丘陵であり比高は13m。川に面して急崖だったようだ。城館は1の郭と2の郭で構成されていた。遠藤壱岐守(実名不明)は八幡崎城で伊達軍と戦っており、その奮戦ぶりから政宗に「希世の逸物」と賞された。後に伊達氏に仕えると名を遠藤但馬守と改めた。

文献では山寺山王山と呼ばれている。陣馬山の山頂と思われる場所に、現在は日枝神社が建つ。宅地用に土採りされたようで、かなり破壊され小さくなったと思われる。昭和45年4月、東北自動車道須賀川インターチェンジの設置に伴い、西川地区が整地されることになり、発掘調査された。

山寺城縄張り図日本城郭体系の城郭図を参考にすると、ざっくりとこのような縄張りのようだ。ツタヤのあたりが一の郭のようだから、そこはほぼ壊滅か。

須賀川桐陽高校では陣場町という地名が残り、陣馬山の麓と思われる。おそらく陣馬山は桐陽高校から日枝神社に至っている小高い山だったのだろう。桐陽高校と山頂(日枝神社)の間は陣馬山中腹と思われるが現在道路で分断されている。もともと堀切跡のようだ。

桐陽高校は陣馬山の麓付近須賀川城攻防図でみる、伊達軍布陣と雨呼口守備の様子。

伊達政宗本陣の右翼には、片倉小十郎(3番大将)、伊達成実(2番大将)、大内定綱(先手大将)を配置。伊達政宗の側には寝返り組で二階堂重臣の保土原行藤(江南斎)がおり、攻略などの助言をしたのだろう。陣馬山の東側(左翼)に「浜尾駿河守」の名が見える。いわゆる寝返り組の岩瀬西部衆の一員で浜尾盛泰(川島宗泰の兄)と思われる。右翼の「浜尾漸斎」とは浜尾行泰(川島宗泰の父)。

山寺城は二階堂家の四天王「遠藤勝重」の城陣馬山の日枝神社鳥居。1の郭の北西に位置する。この道は堀切跡のようだ。

須賀川城が一望日枝神社からの見晴らし。当時、須賀川城が一望できた場所だと理解できる。政宗に内応した保土原行藤は政宗の傍らに布陣しているので、須賀川城攻めにベストな場所を教えたような気がしてならない。

日枝神社に隣接して、東側に米山寺跡がある。山寺とはこの寺のことだろう。

米山寺経塚群として国指定史跡になっている。

桐陽高校と山頂(日枝神社)の間は陣馬山中腹と思われるが現在道路(新道)で分断されている。城郭図から察するに、1の郭と2の郭の間にあった堀切跡に道を通したと思われる。

釈迦堂川の支流福島交通・須賀川バスターミナルの横を流れている釈迦堂川の支流。半分は暗渠になっているが北の山寺池につながっている。これは陣馬山(山寺城)西の要害だったと思われる。

須賀川女子高等学校が陣馬山桐陽高校の西側を撮影(2016年)。陣馬山の麓で傾斜部に建てられている。ちなみに1995年に共学になったが、旧校名は須賀川女子高等学校で略称は須女(すじょ)。

雨呼口(あめよばりぐち)の戦い

政宗本陣に近い雨呼口では真っ先に激戦地となった。場所は神田産業や消防署のあたり。諏訪神社と普應寺の間の道から西川地区に行く坂道は「弘法壇坂」と呼ばれており、古くは「鹿(か)の出口」とも呼ばれた。その近くは江戸時代以前に雨呼口という場所だったそうだ。

二階堂氏重臣で四天王の守谷俊重(守谷筑後)が雨呼口の大将として守備していたが、政宗に内応して長禄寺に放火した。これで城と町は焼け落ち、二階堂氏の敗北が決定的となった。

これは奥州街道からみた神田産業だが、この背後は崖になっており、釈迦堂川を越えてきた伊達軍を迎え撃ったのだろう。

守谷俊重が放火した長禄寺

長禄寺現在の長禄寺。大乗院の菩提追善になっている。

砦見晴らしのいい高台にあり、砦とも言える。

二階堂氏家臣団の墓所長禄寺には二階堂氏家臣団の墓所がある。2015年に訪問した時は東北大震災で倒壊したままだった。「ご縁のある方は申し出てください」と札が立てられている。

大黒石口 の戦い

岩瀬東部衆・河東衆大黒石口でも激戦となった。攻防図を見ると、総大将の須田盛秀はここを守備していたようだ。水野勘解由は「竹貫の強弓」で知られる射手らしい。河東衆に塩田右近大夫(細桙城の塩田政繁)の名がある。落城後自害とあるが石川郡に逃れており、その後、伊達政宗の命により石川昭光が処刑したと考えられる。遠藤壱岐守(実名不明)はその奮戦ぶりから政宗に「希世の逸物」と賞された。政宗は「殺すには惜しい」と、田村月斎と橋本刑部に命じ生け捕らせた。壱岐守は後に伊達氏に仕えると名を遠藤但馬守と改めた。

大黒石口で死守するも戦局が不利となり、最後の戦場は八幡崎城のみとなる。

大黒石口の戦いこの大黒池(大黒石池)は八幡崎城の堀跡ではないかと推定している。わりと広範囲に広がっており、一部湿地状態なのか茂みになっている(2013年に撮影)。残念ながら2015年に埋め立てられた。

大黒池(大黒石池)大黒池の側に、現地説明板、大黒様の石像、合戦の紙芝居が置かれている。

大黒池さらば!今はなき大黒池。何で埋めちゃうかな・・。

八幡崎城

石清水八幡宮の分霊八幡山に築かれた八幡崎城では、須賀川勢の岩瀬東部衆・河東衆が守り激戦地となった。現地の案内板には以下のことが記されている。

「1057年、源頼義・義家父子が前九年合戦・後三年合戦で須賀川を通った際、八幡山に戦勝祈願のため石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まりとされている。1589年10月26日、伊達政宗の須賀川城攻略では、午前八時ごろに政宗側の攻撃で戦端が切られた。特に須田七騎と塩田右近らの東部武士団に佐竹氏の援軍が加わり、伊達軍と最も熾烈な戦いとなった。」

八幡崎城八幡崎城の遠景。

岩瀬八幡神社八幡崎城址は現在は岩瀬八幡神社の境内となっており参道がある。山頂には鳥居や祠が置かれており、土塁が確認できた。

八幡山遺構人工的な岩肌が露出しているが、これも遺構なのだろうか。

八幡崎城の堀跡妙法寺の北西に窪地があってソーラーパネルが置かれているが、八幡崎城の堀跡か?埋め立てられた大黒池とつながっていたのではないだろうか・・と妄想。

本丸(現:二階堂神社)

須賀川城本丸須賀川城本丸の布陣。ここの大将は四天王の遠藤勝重(雅楽頭)。ここで奮戦後、南ノ原口に赴き討死したらしい。

二階堂神社本丸跡地の二階堂神社。須賀川城主で政宗の伯母である大乗院(阿南)が籠城していたという。二階堂慰霊祭「松明あかし」の御神火は、ここで奉受され翠ヶ丘公園(五老山)へ運ばれる。

方八丁館(南ノ原口)

方八丁館の守備1589年、伊達政宗との合戦における、方八丁館の守備。こちらは佐竹および岩城からの援軍部隊で守備されたようだ。八幡山(八幡崎城)の説明では「佐竹の援軍が加わった」とあるので、ここから八幡山へ駆けつけたようだ。ちなみに佐竹勢の人物で「茂武」ではなく、宇都宮氏一族の武茂(むもし)氏と思われる。

須賀川城南の防衛地点、方八丁館須賀川城の南からの進入口、南ノ原口は高久田境・メガステージ須賀川あたりとされる。須賀川合戦では、南ノ原口の出城である方八丁館で、二階堂勢として佐竹勢200人、岩城勢300人が布陣していた。

方八丁館並木町の住宅地と田んぼの間の道を通り、メガステージ須賀川に向かうと「下の川」に当たるが、この辺はちょっとした防塁に見えなくもない。南ノ原口の出城の遺構だと勝手に思い込んでいるが、真相はいかに?

メガステージ須賀川メガステージ須賀川内では、遺構が確認できるわけ無い。初めて須賀川に来た時はまだ田んぼと野っ原だったのだが、その時に探索しておけばよかった。ヤマダ電機のそばにある橋から見た、メガステージと118線。この橋は南橋というので須賀川城の南という意味か、それとも須賀川市の南という意味なのか・・。

メガステージ須賀川の南東では、川が天然の要害となっている。

須賀川市と鏡石町の境118線を挟んでメガステージの向かい側、須賀川市と鏡石町の境に棚田と鬱蒼とした森がある。森の裏には一里塚があるが、このあたりは土塁や堀切跡のような雰囲気があるため、方八丁館はこの辺なんじゃないかと推察される。

一里塚に隣接奥の森は一里塚に隣接しているが、それらしき雰囲気。

須賀川一里塚近くの一里塚の通りでは土塁や堀切跡にみえる。江戸時代に整備されたのであろうが、遺構はそのまま活用していたように思える。

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