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滑川館(柏木城)

現在、柏城小学校になっているところが滑川館で、阿武隈川の支流である滑川を利用した城館である。(須賀川市滑川字東町)
この城館に関する記述は、二階堂氏と田村氏との対立抗争を記した軍記に出てくるらしい。須賀川城の北を防衛する重要地だったことはもちろん、滑川は多賀城への通過地点であり、古代より岩瀬郡の重要な防衛線と考えられる。この付近は東山道といい、近世の時代には奥州街道となったが、明治時代には交通閑散となった。

滑川館(柏木城)製作所ならびに柏城小学校の西側には二の丸、三の丸と連なるが、柏城小学校は平成17年に新校舎が建てられたため、遺構はほぼないとみられる。この土塁も当時のものを利用したのか不明。製作所の土地入り禁止が立つ脇道は堀跡だったのだろうか。柏城小学校は滑川館の別名、柏木城にちなみ、「木」を取って柏城にしたらしい。

滑川を要害とした丘陵地滑川館の北西にある滑川神社側から見た滑川館。西側のときは味気ないが、ここから見ると滑川を要害とした丘陵地であることが分かる。この緑地部分が本丸であり、遺構はやや残されているらしい。校内に緑地帯と城郭遺構を持つ小学校は珍しいだろう。

滑川神社平地にある宮の杜公園と、丘陵地にある滑川神社。滑川館が古代より重要な防衛線だというなら、ここは出城に使われたと想像できる

雨呼口に布陣した二階堂家臣須賀川城攻防図では、雨呼口に布陣した二階堂家臣、滑川藤十郎の名前が見える。伊達政宗と対峙していたころ、滑川館は彼の居館だったと思われる。ちなみに雨呼口では、伊達政宗に内応していた守屋筑後(守谷俊重)が大将を務めていたようだ。

筑後塚供養塔群

筑後塚供養塔群柏城小学校の西側の道を少し北に進み、分岐点の位置に筑後塚供養塔群がある。板碑が二基、そして阿弥陀三尊来迎浮彫供養塔、阿弥陀二尊浮彫来迎供養塔。現地案内板の説明ではこうある。

もともとは柏城小学校前にあったが、道路改修のために現在地に移された。伊達政宗に内応した二階堂家臣・筑後守・守谷俊重の功績により須賀川城は落城した。しかし、伊達政宗は主君を裏切った筑後守を許せず、この地(白石坂)で成敗した。筑後塚のいわれは、これにちなむ。※須賀川市森宿白石坂は柏城小学校よりやや南にある。

ただし、二階堂家臣の寝返り組は多々おり、守谷俊重だけが成敗されることは考えにくい。そのまま伊達家家臣になったと思われ、この信ぴょう性は低い。日本城郭大系によると、須賀川城落城後、守谷俊重は守谷館におり、浜尾村と下小山田村を加恩されたとある。1590年、豊臣秀吉の奥州仕置により伊達政宗が米沢へ移封されると、内応して伊達家臣となった岩瀬西部衆とともに守谷俊重もこの地を去ったとある。

敗戦を決定づけた守谷の寝返りに里人が許せず、「ここで成敗されたことにしよう」と伝承を創作した気がする。鎌倉時代の末期、このあたりでは天台宗が盛んであり、二階堂氏の庇護を受けていたとも伝えられる。石像美術も盛んだったようだ。筑後塚のいわれは後付だろう。

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須賀川城にまつわる城館

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