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会津および仙道攻略の要地

陸奥国 長沼城

須賀川市長沼にあった長沼城を登城(2014年12月)。長沼小学校のすぐ北の公園で本丸跡、東三の丸跡あたりが整備されている。確証はないが南北朝時代に長沼氏(下野国小山氏の一族)が築城したと伝わっている。現地案内板によれば、文永元年(1260年)に長沼氏(長沼隆時)が築城したとされるが、これも定かではない。

陸奥国 長沼城長沼城の遠景。松山城から西へ4kmほど先にある。手前のヒダヒダした地形は外堀跡だと思われる。

長沼城が置かれたのは半島状の丘陵地で、西から東へ延びる日高見山に主郭がある。北西部は自然の地形を利用したと思われる堀切で一旦区切られ、山麓の地蔵堂へと縄張りが続く。地蔵堂は三の丸よりも3mほど低い。東か南からの侵入を想定した縄張りをもつ。現在の縄張りは上杉時代に完成されたものとされる。

長沼城は軍事や交通で要地であるため、たびたび争いが起きている。1547年、蘆名盛高が岩瀬郡で二階堂盛義と衝突したが、長沼城をめぐる争いだとされる。1565年には蘆名盛氏と戦っていた二階堂盛義は降伏し、長沼城を割譲したとある。蘆名盛氏は城代に新国貞通をおき、蘆名氏の領するところになった。1576年に、佐竹義重・田村清顕連合軍に長沼城が包囲されたが、蘆名盛氏が伊達輝宗に鉄砲の支援を求めたという文献(伊達家文書)がある。1589年に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼすと、新国氏は伊達氏に服属して本領安堵された。しかし伊達勢の攻撃にによって落城したと記されている(奥羽永慶軍記)。

奥州仕置によって会津領となり、蒲生氏郷、続いて上杉景勝の支配下になる。1600年、徳川家康の上杉討伐が動き出すと、景勝は家康迎撃のため長沼城を拡張させた。ちなみに、長沼城より西に道谷坂(どうやざか)陣跡があり、土塁や空堀が残っている。これは上杉討伐に備え、上杉氏が陣所としたと想定される。

長沼城は再び蒲生氏の支配下となるが、1615年の一国一城令によって廃城された。(最後の城主は玉井数馬介)。そして江戸時代には白河領という遍歴を経ている。※白河城(小峰城 )より北18kmに位置

1560年ごろ 伊達氏、二階堂氏、蘆名氏により長沼を巡って激突が続く。
1566年 二階堂盛義が蘆名盛氏に敗れたことにより蘆名領となり、会津の防衛、仙道攻略の拠点となる。
蘆名盛氏の家臣・新国貞道が入城。
1589年 摺上原の戦いで蘆名を滅ぼした伊達氏に、新国氏が屈服。
1590年 天下統一した豊臣秀吉が白河口から入り、奥州仕置に入る。8月7日に秀吉は長沼城に宿営している。このときに蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安や蒲生主計が長沼城主となっている
1598年 上杉領となると、信州長沼城から島津忠直が移城
1600年 関が原の戦いが始まると、長沼城が上杉氏の最前線基地となる。その後、蒲生郷治や玉井数馬介が城主を務める。 ※関が原の戦いのあと、上杉景勝は米沢に転封。
1615年 大阪夏の陣のあと、一国一城令により、長沼城は廃城

長沼城、整備されているところだけ登城

陸奥国 長沼城長沼城址の公園入口。日高見山一帯が市指定史跡・長沼城である。1590年、天下統一した豊臣秀吉が奥州仕置を行うが、会津に向かう途中で長沼城に宿営したという。なお、坂下曲輪が駐車場になっているのでアクセスしやすいだろう。ちなみにパソ兄さんは須賀川駅から自転車で訪問したがかなり疲れた。

陸奥国 長沼城千代牛臥城の石碑が建つ。長沼城の別名は、千代城または牛が城という。駐車場のところに現地案内板と、大河ドラマ・天地人ののぼりが立てられている。短い期間(1598~1601年)だが、上杉景勝が治める会津領だったため、天地人ゆかりの地というわけだ。訪問時は2014年12月で、ドラマ放送から5年も経ち、のぼりが灰色になるまで汚れている。案内板の側にあるポストに「上杉景勝・直江兼続ゆかりの須賀川を巡る」というパンフが残されていた・・・・。縁の地へ行くなら殆どの人が須賀川ではなく、米沢なんだろうけどね。

陸奥国 長沼城長沼城の桜がちびっと有名で、300本ほど植林されている。樹齢は80年くらいだそうだ。石垣の上に石碑が置かれている。

陸奥国 長沼城日高見山の南西最端部は岩盤がむき出しになっており、急崖が天然の要害となっている。岩盤は稲荷曲輪であり、稲荷社があったのだろう。ゴツゴツした岩肌を削って造られた急峻な階段(もはや溝のレベル)があるので、そこが参道なのだろうけど、危険すぎて登れない。

陸奥国 長沼城駐車場奥の道から稲荷曲輪に向かって登る。

陸奥国 長沼城枡型の坂道で折り返し地点で、稲荷郭に差し掛かる。

陸奥国 長沼城稲荷郭は物見台であろう。

陸奥国 長沼城稲荷郭からさらに進み、東三の丸へ。長沼小学校の課外授業とかで使われていそうな広場だ。奥の東屋がある高台が本丸である。東の二の丸は現在貯水場となっており柵で入場できなかった。

本丸跡

陸奥国 長沼城本丸跡に鎮座する日高見稲荷と鳥居。朽ち果てそうな木造鳥居と新設感のある石鳥居が建つ。社殿は納戸のような質素な佇まいであった。銀杏の実が地面一帯に広がり、足を滑らせてしまいそうだった。

陸奥国 長沼城社殿の裏側には石垣が積まれているが、震災の影響なのかひどく崩れている。

陸奥国 長沼城本丸南部には東屋があり長沼町を眺望できる。小学校の校舎やグラウンドがよく見渡せる。

陸奥国 長沼城本丸からみた南帯曲輪。ものすごい急勾配で足がすくむ。

長沼南古館

江花川流域の傾斜地にあり、63m × 82m規模で不正四角形の城館跡になっている。城の周囲9mに堀を掘って、その土を盛って土居を造成している。長沼宗政は小山氏一族であるが、下野国長沼荘(栃木県真岡市長沼)に住んで長沼氏を名乗った。源頼朝に従い、奥州征伐(1189年)で活躍し、会津の長江庄と岩瀬郡の西部を与えられた。宗政の孫である「宗秀」がこの地に下向して長沼南古館に住んだという。
※長沼宗政の兄弟に、小山朝政(下野国小山氏)、結城朝光(下総結城氏当主・白河結城氏の始祖)がいる。

長沼北古館

長沼宗秀は南古館にしばらく居館したが、北東600mの場所に北古館を築城して移り住んだという。本丸と二の丸の連郭式平城で、北西の位置に本丸の虎口があったことが判明しているが、そのほかは不明とのこと。遺構はほとんど破壊されているらしい。

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