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千葉氏一族・高城氏の支城

小栗原城(現・小栗原稲荷神社と多聞寺)

千葉県船橋市本中山にあり、千葉街道に面した小栗原稲荷神社は、かつての小栗原城(おぐりはら-)である。古くは字で城ノ台(後に城ノ庭)と呼ばれ、別名では「城之台城」という。城南部の崖下は城ノ下と呼ばれていた。小栗原城は標高20mほどの舌状台地先端部にあった城だが、この稲荷神社が主郭と思われる。

鎌倉時代、千葉氏が下総守護にあったが、家臣の栗原氏がここらを治めていたので栗原郷と呼ばれてた。中世では千葉氏一族・高城氏の支城であったという。

その後、徳川家康に小姓から仕えていた老臣・成瀬正成が、小田原合戦後に栗原郷に「下総国葛飾郡4000石」で入封し、栗原藩が設立される。その陣屋の場所は不詳であるが、小栗原城および菩提寺・宝成寺の周辺と推定されている。小栗原城は小田原合戦後に廃城となり、栗原藩では利用されていないとのこと。陣屋にはなっていないようだ。
(2017年12月登城)

小栗原稲荷神社(城址)

城址である小栗原稲荷神社唯一の小栗原城址とも言うべき、高台の小栗原稲荷神社。地元では「城のお稲荷さん」と呼ばれ、200年続く中山地域最大の祭りが4年に1度行われる。

城郭である舌状台地は破壊されており、神社の高台だけを残して周囲は完全に削平されている。ここより80mほどの東(写真では右側)に多聞寺の裏山があるが、かつては城ノ台として高台が続いていたという。明治時代の鉄道建設(京成線か総武線)で土取りされ、台地は分断。その間の削平された土地は宅地化され遺構はない。城の規模は「東西200m、南北約150mほど」と推定されている。

遺構が破壊された削平地

土取りされ削平鳥居と多聞寺の裏山が見えるアングルで撮影。ここから見える民家や駐車場は土取りされ削平された後。かつては城が置かれた台地だったのだなあ・・。

多聞寺の裏山。

小栗原城の奥側が多門寺裏山京成線の踏切から背後(北面)を見ると、かつての台地を想像しやすい。手前の茂みが神社、分断された奥側が多門寺裏山。

堀切を起点千葉街道から見た削平地。おそらく堀切を起点として土取りをしたのだろう。

小栗原稲荷神社の境内と周囲

小栗原稲荷神社の高台周囲では小栗原稲荷神社の高台周囲をみてみよう。

京成線堀切のあった場所から土取りをしたのだろうか。神社の北側にはすぐ京成線が通っている。

神木のクスは中世の小栗原城小栗原稲荷神社境内。神木のクスは中世の小栗原城を知っているのだろうか?

その背後にはすぐ京成線神社境内の最北に狐塚がある。その背後にはすぐ京成線。ここから北400m先には鎌倉時代(1260年)創立の法華経寺があり、中世では小栗原城と強いつながりがあったと思われる。

千葉一族・高城氏ゆかりの、妙見八幡

小栗原神輿倉小栗原城と縁の深い神社が、小栗原稲荷神社のすぐ西側にある。小栗原神輿倉の横に2つの参道があり、東に子之神社、西に妙見八幡が鎮座している。

高城氏といえば妙見八幡妙見八幡の鳥居と拝殿。妙見は千葉氏一族の守護神であり、小栗原城が高城氏の支城だったことを物語っている。

多聞寺(小栗原城址の一部)

宝珠山多聞寺を創建もうひとつの小栗原城址ともいうべき多聞寺へ。千葉街道沿いに山門がある。少し高い位置にあるが、かつて千葉街道が海岸線であったことを伺わせる。日傅が弘法の守護神として毘沙門天を賜り、1298年に宝珠山多聞寺を創建した。この地は昔、二子が浦といい、日蓮上人が鎌倉へ赴くときに船出をした霊跡(降り津)でもある。

多聞寺の裏山多聞寺の裏山は墓地。なるほど、中世では海が見渡せる高台だったようだ。

二子浦の名残

船橋市の二子浦多聞寺より千葉街道を挟んで向かい側(南側)に小さな池が2箇所あるが、二子浦の名残である。

二子藤の池もう一箇所の池。こちらは多聞寺の正面の池で、「二子藤の池」

千葉県中山町&葛飾村鳥瞰昭和3年に描かれた「千葉県中山町&葛飾村鳥瞰」。分かる範囲でポイントを記入してみたが、随分歪んだ地図で距離感がつかみにくい。この時代には京成線も総武線も敷かれている。小栗原城の城郭も破壊された後だと分かる。

「二子藤の池」の案内板にはこうある。二子の地には溜めが多くあり、良好な湧水で田んぼや茶道の水に利用された。「二子藤の池」では藤の古木に由来がある。昭和20年後半までは水田への引水に利用された。船橋市西部の旧葛飾地域は、かつての海岸線の面影を残す松林や由来のある寺社が多く残されている。昭和40年代になると、二子の溜めの多くは都市化の進行により利用価値がなくなり、次第に荒れ果てたり、埋め立てられた。この二子藤の池は平成10年に復元されたもの。

小栗判官ゆかりの神明寺

小栗判官と神明寺小栗原城より1.3kmほど西、鬼越駅のすぐ隣に神明寺がある。真言宗豊山派の寺院。

「鎌倉時代、幕府の政争に敗れた小栗判官が追手を逃れ、愛馬の鬼鹿毛(おにかげ)に跨り、相模国から下総国葛飾まで来た。底なし沼に直面するが無事に難を振り払い、持仏不動尊をお堂に安置した」と、神明寺の縁起に伝わっている。(現地案内板)。この持仏不動尊は「小栗判官厄除出世不動」と呼ばれている。

小栗判官馬つなぎのいちょう境内のイチョウは「小栗判官馬つなぎのいちょう」と呼ばれる。鎌倉時代、小栗判官が持仏不動尊を安置するために、愛馬「鬼鹿毛」をつないだイチョウの木とされる。樹齢は七百数十年だとか。(現地案内板による)

そもそも、小栗判官は伝説上の人物。そのモデルになったのは小栗満重(またはその子・小栗助重)であり、室町時代前期から中期にかけての武将。常陸・小栗城の城主である。現地の案内では「鎌倉時代」とあるのがどうも不可解。

史実の小栗満重は、主君である鎌倉府(鎌倉公方)の足利持氏に謀反を起こした(1411年)。何度も反乱を起こし、1423年には持氏の大軍に攻められ、居城の小栗城で果てた。現地案内板を立てた人(または市川むかし話)が、室町時代の「鎌倉府」を「鎌倉幕府」と勘違いしたのだろうか・・。

愛馬・鬼鹿毛が底なし沼を越えた鬼越鎌倉時代だと??それはさておき、「愛馬・鬼鹿毛が底なし沼を越えた」ことで、ここの地名が「鬼越」になったという説もある。また小栗原という地名もここに由来していると思われる。栗原郷に置かれた栗原藩など、小栗原だの栗原だのややこしい。

レポートは以上。

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