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三ノ輪~南千住を散歩。

小塚原刑場の近くをぶらりと歩く!

有名な「土手の伊勢屋」で天丼を食べるために友達と出かけたが、店が開いていなかったので、三ノ輪~南千住をぶらりと散歩することになった。浅草寺から北へ1.5kmほどのエリアだが、この辺りの史跡といえば、新吉原遊郭跡地、小塚原刑場、あしたのジョーの舞台となった山谷地区、上野寛永寺の黒門が移築された円通寺といったところ。

土手の伊勢屋

「土手の伊勢屋」の公式サイトでは「商標権を有しており系列店はございません。まずは、台東区日本堤、新吉原遊郭の出入り口(吉原大門)のすぐ向かいにある「土手の伊勢屋」へ。

1889年(明治22年)に創業した若林家ファミリー経営の天ぷら屋。かつて店の前に吉原遊郭の「土手」があったことで「土手の伊勢屋」と呼ばれた。創業時は遊郭で遊んだ客や客引き、遊郭への出前で繁盛したという。創業時は、店の裏にあった隅田川の支流から魚を揚げていたが、現在では店外に「穴子専用の水槽」を設け、朝締めを徹底しているらしい。

創業時の建物は関東大震災により全壊したが、現存するのは木造2階建、瓦葺で、1927年(昭和2年)に建てられたもの。店内に使用している木材は「ひのき、けやき、さくら、日本杉」。東京大空襲で焼けることなく残り、登録有形文化財(2010年登録)となっている。

2016年時点では、四代目の若林喜久雄が主。その前には五代目・谷原秋光が襲名していたが、公式サイトでは抹消されている。5代目から4代目へという可笑しな襲名になっているため、どうやら身内争いになったと思われる。五代目・谷原秋光は2015年浅草に「下町天丼秋光」を開店しており、5代目を強調しつつ土手の伊勢屋カラーで商売している。なお、「土手の伊勢屋」の公式サイトでは「商標権を有しており系列店はございません。」ときっぱり公言しており、5代目を否定している構え。新五代目は当店で修行中とのこと。

午前11時開店なので、11:10に到着したが閉店している。事前に調べてあり、定休日でもないのに閉店している。何じゃこら・・・、ということで金輪際来ることはないだろう。なお、新吉原遊郭のあたりは、樋口一葉の「たけくらべ」の舞台になっているが、見て回っても楽しめる景観はない。

かつて山谷(さんや)と呼ばれたドヤ街と、泪橋

いろは会商店街」「土手の伊勢屋」のすぐ隣には、「いろは会商店街」があり、あしたのジョーで飾られている。
この東京都台東区北東部は昔、山谷(さんや)という地名で、日雇い労働者の滞在する場所「ドヤ街」で知られる。近年では治安がよくなり、格安ホテルを利用するためバックパッカーが増えているという。

泪橋泪橋の交差点。小塚原刑場跡(南千住駅あたり)の南側で、台東区と荒川区の境に位置する。
泪橋は思川(おもいがわ)にかかっていた橋であり、現在では思川は暗渠化している。ゆえに昔の風情は皆無である。江戸時代、小塚原刑場にいくにはこの橋を渡ったが、罪人にとってはこの世との別れ、また家族や身内の者との別れとなる。橋の上で泪したことから「泪橋」と呼ばれた。あしたのジョーでは、刑場をドヤ街に置き換えられており、物語のテーマのひとつとなっている。

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小塚原刑場跡と、首切り地蔵

小塚原刑場は、大和田刑場(八王子市大和田町)、鈴ヶ森刑場(品川区南大井)とともに江戸の三大刑場のひとつ。1651年に創設され、新政府が刑場を廃止するまで使われ、明治初期までに20万人ほどの刑が執行されたという。死体は埋葬とういより、土を被せる程度だった。

橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎なども埋葬されたという。「おためし場」といい、刀剣の試し切りの場としても活用された。1771年、オランダの解剖学書「ターヘル・アナトミア」の正確性を調査するため、杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが小塚原刑場の刑死者の解剖に立ち合って確認したという。

南千住駅の西側にある小塚原回向院と延命寺が小塚原刑場跡である。常磐線によって分断されているが、南の延命寺が実際の刑場であった。北の回向院には橋本左内などの刑死者の墓がある。

延命寺と首切り地蔵実際の刑場であった延命寺と首切り地蔵。

修復東北大地震で首切り地蔵はかなり損壊したが、修復したことが書かれている。

小塚原の由来となった、円通寺。彰義隊の墓、吉展ちゃん誘拐殺人事件で知られる

上野寛永寺の総門(黒門)東京都荒川区南千住にある曹洞宗の寺院、円通寺。791年、坂上田村麻呂によって開かれたとされる。江戸時代では「下谷の三寺」として有名であり、箕輪(三ノ輪)の圓通寺の他には、下谷の廣徳寺、入谷の鬼子母神がある。

この地が小塚原と呼ばれるのは、この円通寺に由来する。小塚とは首塚のことであり、源義家(八幡太郎)が奥州征伐をした際、48の首をこの地に埋め、四十八塚(首塚)を築いた。首塚の上には七重の石塔が建つ。

この寺には上野戦争(1868年)で亡くなった彰義隊の隊員が墓がある。遺骸266体を埋葬しているらしい。明治政府からすれば彰義隊は「賊軍」がゆえ、遺体は戦場に散乱放置したままだったが、この寺の住職(大禅佛磨大和尚)が上野の山で火葬を行った。和尚は一旦、官軍に拘束されるが、埋葬供養の許可を得たという。上野公園、西郷銅像の後方に現在、彰義隊の記念碑があるが、そこが火葬場所であった。

明治時代、唯一、賊軍の法要がおおっぴらにできる寺として、旧幕臣の信仰を集めた。ゆえに、上野寛永寺の総門(黒門)が移築されるきっかけとなった。黒門では無数の弾痕が確認できる。

また、1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」では、吉展ちゃんの遺体発見現場となったことでも知られ、境内には慰霊地蔵が置かれている。この事件は人命を優先させるために「報道協定」のきっかけともなった。

千住天王素盞雄神社

千住天王素盞雄神社南千住駅から464号線を北上すると、千住天王素盞雄神社にぶつかる。素盞雄神社は、南千住、三ノ輪あたりの区域の総鎮守である。千住天王素盞雄神社までの通りはコツ商店街だが、コツとは小塚原の「こづ」が訛ったものだと商店街関係者はいう。ただ、普通に考えれば「骨」なのではと思ってしまう。南千住駅の建設において、地中に眠る罪人の骨がたくさん発掘された話があるためだ。

矢立初めの地

矢立初めの地更に北、千住大橋を渡ると、「矢立初めの地」の標柱が立っている。松尾芭蕉の『おくのほそ道』で、最初に句を読んだところである。芭蕉は1689年、江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出発し 千住大橋付近で船を下りてこの詠んだという。

矢立初めの句 「行く春や鳥啼魚の目は泪」
※矢立(やたて)とは江戸時代の携帯筆記用具。筆と墨壺を組み合わせているので、旅行中でも即座に筆が使える。

アニメ製作会社のサンライズでは、企画部が原作・原案の場合にペンネームとして、矢立 肇(やたて はじめ)を使うことがある。これは『おくのほそ道』で詠まれた「矢立の初め」が由来である。

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