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松戸城の跡地に建つ水戸藩主別邸

松戸城(戸定が丘歴史公園が比定地)

松戸城は築城年や築城者が不詳であるが、現在の戸定が丘歴史公園付近だという。現地では松戸城に関して触れられておらず、旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)として国の名勝となっている。戸定が丘歴史公園のある高台は「戸定台」と呼ばれるが、戸定(とじょう)とは「外城」に由来し、松戸城との繋がりが感じられる。

1538年の第一次国府台合戦では、国府台城に布陣する小弓公方(足利義明)軍に対し、敵方の北条氏綱・氏康軍は江戸川を渡河して松戸城に布陣したと考えられている。なお、文献では松渡城という表記がみられる。

松戸城第一次国府台合戦で、北条軍が陣を構えたとされる松戸城(松渡城)。これは6号線から見た松戸城の遠景。現在はこの丘山に千葉大学園芸学部と戸定邸が建つ。戸定とは外城に転じたものらしいので、戸定邸は城の外郭部として比定してよさそうだ。

第一次国府台合戦(1538年) とは

北条氏綱 VS 小弓公方の足利義明。義明は里見義堯ら軍1万を従えて国府台城入り。北条氏綱は嫡男の氏康ら軍2万を従えて江戸城入り。義堯らは「北条軍の江戸川渡河中に討つべし」と進言するが、義明が却下。このように戦略で意見が食い違ったため、里見義堯は義明を見殺しにして戦線離脱。以後、北条氏の下総から南への侵略が始まる。 渡河した北条軍は松戸城(現・戸定が丘歴史公園)に上陸して陣取ったとされる。相模台城(現・松戸中央公園)周辺で激戦となり、足利義明は討ち死。小弓公方は滅亡した。相模城の一部とされる聖徳大学校内には「相模台戦跡碑」が建つ。

松戸城(松渡城)の比定地

1466年に書かれた足利義政御内書写に松渡城郭の文言がある。下総の国境にあたる重要地点で、松戸の渡を眼下にできる場所、そして麓には鎌倉街道下道が通過する場所であったことが伺えるという。その景観から察すると、戸定が丘歴史公園あたりが比定地とされる。しかし、比定される松戸城では断定できるほどの遺構が残っておらず、未調査分もあり議論はあるという。

戸定が丘歴史公園の西側、台地下には「根古屋」という小字が残されており、ほかにも戸定(外城)など語彙から城館跡だったことは間違いないようだ。また砦規模ではなく、広い縄張りであったことが考えられる。ただし、松戸城とは断定できないという。
(参考文献:松戸市史)

この戸定(外城)とは「相模台城の支城」を意味するという説もあり、築城期は同じ時期と考えられる。1465年に、千葉氏一族の原氏が上杉氏を相手に籠城したり、1582年には小金城主高城胤辰の一族が城主だったという。松戸村が徳川氏の旗本知行地となると、松戸城には高木正次が入封し、一族が1657年まで在城していた。

松戸城の堀松戸城の麓には堀らしき地形で、窪地に民家が立ち並んでいる。松戸城西側の浅間神社や、南に位置する柿ノ木台公園は出丸に思えなくもない。

竹内啓-松戸城の小川節斎の墓千葉大学園芸学部の裏門近くにある、竹内啓(たけのうち ひらく / 小川節斎)の墓は、松戸城の櫓台跡のようなところに建っている。武蔵国(埼玉県)入間郡竹内村の生まれで、生家は代々名主の家柄。江戸で国学、儒学、医学を学び、国元に帰ってからは、医者や教師、名主を勤めた。1867年に下野(群馬県)出流山で赤報隊の一派を率いて倒幕に兵を挙げた。

しかし幕府軍に敗れ、古河市に逃れたが捕縛され江戸へ護送されることになった。幕府崩壊の危機が迫っていた時勢だったこともあり、逃げ出されることを懸念した幕府は、この松戸の宿まで来たところで市中引き回しを実行、この地で処刑した。享年40歳。後年に従五位を追贈された。

この場所は、1725年、八代将軍・徳川吉宗の小金原鹿狩で休憩所として使用されている。景勝地として扱われたので、この時に城郭遺構が破壊された可能性がある。

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水戸藩主別邸、戸定邸へ

戸定が丘歴史公園景観JR常磐線側の傾斜面が切岸を思わせる雰囲気だが、萱葺き門など景観はもっぱら近世の武家屋敷。現地では松戸城を示す案内もなく、戸定邸のみ。

藤まつり-松戸城戸定が丘歴史公園の園内(2015年5月)。ここは無料で散策できる。藤まつりということで藤40鉢の鉢植えが展示されていた。

城郭の面影戸定邸の奥にある芝生。削平されていたのか、松戸城の城郭の面影はなさそうだ。

松戸城と千葉大学園芸学部隣接する千葉大学園芸学部との境界には柵が敷かれている。堀切跡に見えなくもないが・・。築城者は不明であるが、千葉氏に縁を持つ原氏、高城氏、一時期下総まで勢力を伸ばしていた里見氏が関わっていると思われる。

水戸藩最後の藩主の別邸、戸定邸にお邪魔する

戸定邸は、15代将軍の徳川慶喜の舎弟である徳川昭武(11代水戸藩主)の松戸別邸。徳川昭武は最後の水戸藩主である。近世の武家屋敷造りの建物で、20数年を過ごした。洋式庭園を取り入れた当時としては珍しい造園で、後の大正天皇となる皇太子も行啓した。徳川昭武の子息・武定(松戸徳川家初代)はこの邸に永らく居住したが、昭和26年に文化施設として松戸市に寄贈した。市は地名(小字名)にちなみ戸定館と命名した。

戸定邸にお邪魔有料だが戸定邸にお邪魔することにした。

木造平屋一部2階建1884年(明治17年)建設で、大名の下屋敷を伝える近代和風建築。木造平屋一部2階建。

書院造り庭園庭に面した書院に座って見ることを第一に設計された書院造り庭園。洋風の技法を用いて建物軒下まで芝を張っている。和洋折衷式庭園の初期の作例らしい。徳川慶喜が何度か訪れて写真撮影を楽しんでいる。

ちば遺産100選関東の富士見百景および、ちば遺産100選に選ばれている。「高台から臨む江戸川、丹沢山地、富士山の眺望~」というが、線路沿いや都市部ということもあり閑静な場所とはいいがたい。戦国時代であれば、戦略を優位に進められる地だということは納得できる。第一次国府台合戦では北条氏がここに布陣したことで、すでに勝敗は決まったのだろう。

第一次国府台合戦の激戦地、相模台城

相模台城第一次国府台合戦の激戦地は、松戸駅近くの相模台公園~松戸中央公園付近の高台で相模台城である。松戸城に布陣した北条軍はここで小弓公方の足利義明を討ち取った。軍略の意見が合わなかった里見軍はまともに対峙せず、義明の討死を知ると兵を減らすことなくすみやかに撤退した。相模台城については国府台合戦のページで紹介している。

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