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初代白河藩主の丹羽長重が大改修した居城

白河 小峰城

小峰城(白河城)は阿武隈川の南に位置し、「小峰ヶ丘」と呼ばれる東西に長い丘陵地(標高は370m)に築かれた。白河風土記によれば、1340~69年(鎌倉時代後期から南北朝時代)ごろ、白河庄の領主であった結城宗広の嫡男:結城親朝が築城したとする。結城親朝は父とは別の地盤を築いており、別家である小峰氏を創設している。1504~20年ころ、一族の内紛で小峰氏が白河結城氏の権力を掌握して、小峰城を本拠としたと考えられる。

1590年、小田原征伐の際、小峰義親は参陣しなかったため、豊臣秀吉の奥州仕置によって白河結城氏は改易された。(伊達政宗が蘆名氏を滅ぼしたあと、小峰氏は伊達氏に服属。小田原参陣は伊達政宗によって阻止されていた。※三春城の田村氏と同じパターン。ただ、小峰義親は後に仙台藩に召し抱えられている。) 奥州仕置により白河は会津藩領となった。小峰城に石垣を積まれたのはこの会津藩領のときだが、主に本丸に積まれていた。

小峰城JR白河駅から見た小峰城。白河藩が置かれた当時は駅ホームも城内であった。 日本100名城のひとつで、国指定史跡に指定されている。映画では「武士の一分」、テレビでは「タイムスクープハンター」のロケ地に使われている。(訪問は2016年8月)

1627年には白河藩が成立し、丹羽長重が初代藩主となり、小峰城は奥州の押さえどころとして江戸への防衛地点であった。現在の石垣をめぐらせた城郭跡は丹羽長重の改修によるものとされ、4年の歳月をかけて梯郭式平山城に改修されている。本丸・二の丸を総石垣で固め、三の丸も石垣積んでいる。当時の縄張りは白河駅の南側にもおよび、54万平方メートルほどの規模とされる。城の西側に流れていた阿武隈川を北側に変えて、家臣団の屋敷(現在・会津町)を広げた。奥州街道沿いには商人や職人が住む町屋を置き、その周囲に寺院を配置した。この頃には小峰城ではなく、白河城と呼ばれたことだろう。

丹羽長秀のあとは子・光重が在城し、その後は榊原氏、本多氏、奥平松平氏、結城松平氏、久松松平氏、阿部氏(計6家19代)の居城となった。1867年、阿部氏が棚倉に転封されて白河藩は消滅したが、小峰城は幕府直轄となった。翌年には戊辰戦争が起こり、要衝の地である小峰城では奥羽越列藩同盟軍と新政府軍で戦い(白河口の戦い)となり、城内の建物は焼失、そして新政府によって押さえられた。

明治時代になると、本丸・二の丸以外の石垣は撤去されたが、本丸を中心とした約2kmの石垣は残されている。江戸時代から現在まで修復が行われているため、様々な石積みになっている。(打ち込みハギ乱積み、打ち込みハギ布積み、切り込みハギ乱積み、落とし積み)小峰城にも使われている白河石は、主に白河や大信地域で産出され、墓石や石灯籠、建築用などで全国に出荷されている。白河石には白と黒の2種類ある。

小峰城復元想定図現地にあった復元想定図。

初代白河藩主の丹羽長重

丹羽長重初代白河藩主の丹羽長重は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた丹羽長秀の子。長秀の越前・若狭・加賀・近江の123万石を継いだが、秀吉により石高を減らされ、勢力を削減された。関ヶ原の戦い勃発前に徳川方の前田利長と争い、徳川によって城地を没収された。徳川幕府が成立すると常陸古渡1万石の大名として復帰し、2代将軍の徳川秀忠には信頼されて奥州棚倉5万石に転封し棚倉城の築城に着手、しかし完成する前に白河10万石へ転封となった。

2代白河藩主に嫡子の丹羽光重が継ぐが、二本松へ移封となり初代二本松藩主となった。丹羽氏の白河藩主は2代で終わっており、以後は有力な親藩・譜代大名が藩主を務めている。

小峰城 城郭散策

城郭現在、本丸と二の丸が城郭を活かした都市公園となっている。東日本大震災の復興修理の際、本丸一帯は大きな谷地形であることがわかった。小峰城内の門、櫓の数は資料により異なるが、白河城御櫓絵図と奥州白河城下全図によれば、18の門と11の櫓が確認できるとのこと。

城下奥州白河城下全図。

小峰城公園城郭絵図。公園化されて指定史跡になっているエリアは一部。

小峰城藤門藤門と二の丸にある小峰城址標柱。

月見櫓台付近清水門ちかくの石垣と、月見櫓台付近の石垣。

水堀跡小峰城水堀跡。会津門からやや西側で撮影。

桜之門

小峰城桜之門桜之門は本丸御殿の南入口にあたる門で、門を通ると御殿の庭に通じる。居住区であるため藩主の出入りに利用されたと考えられる。枡形で組まれた石垣の上に櫓をわたす櫓門であり、高さは7mあったという。付近に桜が数本植えられていたため、桜之門と呼ばれたと考えられる。

本丸跡(御本城御殿)

御本城御殿本丸の平坦地に御本城御殿と呼ばれる建物があった。藩主の居所と政庁を兼ねていたと考えられている。1808年の白河城御櫓絵図の御本城御殿平面図では、建物の規模と外観は不明だが、畳数が707畳という御殿絵図が別にあり、大規模だったようだ。

多聞櫓本丸にある多聞櫓跡。

前御門本丸から見た前御門。

三重櫓

小峰城三重櫓御本城御殿の平坦地から北東隅の階段を登って三重櫓へ。櫓とは武器の保管庫であることから、三重櫓も同様だと推測されるが、小峰城の天守閣のようなシンボル的な建物になっている。北側には張りだして石落としが設けられている。発掘調査と絵図を元に1991年に復元された。

おとめ桜三重櫓の隣りにある、おとめ桜。丹羽長重による大改修の際、本丸の一角にある石垣が幾度なく崩れ落ちてしまうことから、人柱を立てることになった。たまたま、父に会うためにやってきた藩士・和知平左衛門の娘「おとめ」が不運にも捕らえられて人柱となったと伝わっている。小峰城の完成後に、悲運を哀れんで桜を植えたという。

帯曲輪

帯曲輪北面の帯曲輪。バラ園として使われている場所だが、石垣崩落のため工事中だった。竹之丸から本丸周囲を1周取り囲んだ帯曲輪になっている。

竹之丸郭

竹之丸竹之丸の郭から見た前御門。発掘調査と絵図を元に1994年に復元された。

小峰城 二の丸

小峰城二の丸多聞櫓から見た二の丸。

堀跡二の丸 堀跡。浅くなっているが、芝生広場として整備したからだろう。

会津門跡

会津門小峰城の西側に設けられていた。会津門跡。会津町の武家屋敷から通じる入り口となる。会津門は入り口が南に向いており、高さ7m、城郭の外周にあるため、門の周辺は石垣と土塁で構成されていた。ちなみに会津藩の旧臣を召し抱えて住まわせたことから会津町と呼ばれたとされる。

小峰城 大手門礎石

大手門礎石白河集古苑の隣に移設された大手門礎石。大手門とは表玄関にあたる門であり、白河市大手町で発掘された礎石を発掘時の寸法のまま移設されている。礎石は上面を平坦に加工し、ほぞの周囲には柱材のヤニの痕跡が残されていた。

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