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馬加城~宗家を滅ぼした馬加康胤の居城

千葉県千葉市花見川区幕張町にあった馬加城および、城主・馬加(まくわり)康胤の首塚へ行く。1455年に享徳の乱が勃発すると、千葉氏・馬加家の馬加康胤は古河公方・足利成氏を支持し、千葉氏宗家である千葉胤直・胤宣父子を討ち、宗家を滅ぼす。(宗家の居城である千葉城を攻めたのは、馬加康胤に加担した原胤房)

馬加城馬加康胤が居城としていた馬加城跡で、連郭式平山城だった 。現在は「幕張ハウス」という堅固な天守閣が立ち、多くの住民が住む。この辺は貝塚が多く、湿地帯を天然の要害とした城郭や砦跡が見られる。はっきりいって建物を建てるにはいい場所とは言えない。「わざわざ史跡に建てなくても」と思うが、湿地帯よりも史跡に置いたほうが地盤が安定していると判断したのだろう。

大須賀庄本郷馬加城の置かれた位置は、花見川と浜田川とに挟まれた舌状台地で、大須賀庄本郷と呼ばれていた。
元々は大須賀胤信(千葉常胤の四男・千葉6党のひとり)の所領であり、そのころの築城(1180年)とされる。大須賀氏は領地替えとなり、室町時代後期では馬加康胤の所領になった。

宗家を滅ぼした馬加康胤は千葉氏当主を名乗るものの、後に足利義政(室町将軍)が派遣した東常縁(千葉氏一族・胤頼が始祖)が馬加城を攻撃。康胤は馬加城から逃れたが、上総八幡(市原市八幡町)の村田川にて討たれる。(1456年)

強いて遺構といえば、マンション下にある台地と茂みの切岸部分くらいだろう。馬加城跡を示す案内板がなければ史跡標柱もない。馬加(まくわり)から転じて幕張という地名になったのだが、軸となる場所がまともな史跡になっておらず残念だ。せめて「馬加城ハウス」と改名することが馬加氏の手向けになると思うのだが。※ちなみに東京都八王子市高月町にあった高月城跡にはラブホテルの「ホテル高月城」が建っている。

千葉氏の始まり宗家の滅亡によって、馬加康胤の子孫である下総千葉氏と、宗家・胤直の弟である胤賢の子孫である武蔵千葉氏 とに分かれる。 ※本佐倉城を築いた千葉輔胤は、馬加康胤の子で下総千葉氏である。(※孫という説もあり、また、岩橋氏を名乗っていた。千葉輔胤については諸説あり)。千葉輔胤は宗家のいなくなった千葉城を居城としていたが、東常縁に攻められ佐倉に逃れ、本佐倉城を築いたと伝わっている。

戦国時代後期に千葉胤富が馬加城に在城したとの記録があるが、その後の廃城時期は不明。

三代王神社~馬加城の一部か?

三代王神社馬加城跡の横並び台地上に三代王神社がある。創建年代は不詳であるが、武石胤盛(千葉常胤の3男・千葉6党のひとり)の守護神らしい。馬加城跡と台地が少し分断されているが、馬加城の一部と見てもよさそうな地形だ。2004年ごろ、三代王神社の参道脇を削った工事が行われたが(上の写真ではコンクリートで固められている壁)、堀跡が検出されたという。

なお、三代王神社は、下総三山・七年祭りの参加神社で産婆の役割を担う。
七年祭りの起源は馬加康胤が三代王神社などの神社に安産祈願をさせたことに由来する。ただし諸説あり、藤原時平の子孫が二宮神社の神主になり、地域を束ねるために始めたという伝承もある。

馬加城跡と台地参道は急峻な石段であり、城郭跡といってもうなずける。

跨線橋跨線橋を渡りJR線を越え、馬加康胤の首塚がある堂の山へ向かう。ここからは馬加城および三代王神社が一望できる。

宝憧寺

宝憧寺(ほうどうじ)歩道橋より眼下に広がる真言宗豊山派の補陀落山宝幢寺。如意輪観音を本尊としており、806年に宥恵法印が開基。もともと阿弥陀寺のあった場所に建つ。明治5年、馬加村内にあった末寺(阿弥陀寺・竜性院・正円寺・福寿院・延命寺)などを宝幢寺に合併したらしい。

馬加康胤の首塚

東常縁に討たれた馬加康胤の首塚が馬加城より800m南西の位置にある。大須賀山と呼ばれる場所だが、大日堂が置かれていたことから堂の山と呼ばれている。大須賀山砦とも呼ばれるので、戦国期は馬加城の砦跡ではないかと推測される。

大須賀山
国道14号線沿いで都市化している中、堂の山はこんもりと自然が残る。入り口に置かれている案内板には、以下のことが記載されている。

幕張町は古くは千葉郡大須賀荘須賀原と呼ばれ、江戸時代以後は馬加村と呼ばれた。この丘の中腹には大日堂があり、独立した寺院だったと伝わる。お堂があることから堂の山とも呼ばれる。この丘は標高15mほどで南側は埋め立てられるまで直接東京湾に面していた。階段上の右に1828年関脇に昇った郷土力士の荒馬大五郎の供養塔があり、左前方が大日堂。
大日堂で祀られていていた大日如来は宝憧寺(ほうどうじ)に移されている。左奥の坂上には馬加康胤の首塚と伝えられる方形の塚と供養のために建てられた江戸初期の五輪塔がある。

堂の山階段上の右に荒馬大五郎の供養塔。供養塔から斜め左に大日堂跡地。貝殻が散っているので古くは貝塚だろう。

首塚しっかり首塚の道標が置かれている。距離は大したこと無いが、段々の丘になっている。自然の海岸林が残り、これは西から東へ林相が変化していく貴重な自然だという。

馬加康胤の首塚これが首塚か。康胤の首は晒されたというが、家臣が奪還してこの堂の山に埋めたという伝承がある。また郷内に火の玉が飛び交う怪奇現象が起きたので供養したという伝承も残る。※素加天王社(子守神社)の伝承。

江戸初期に建てられた五輪塔の刻印には首塚と思えるような記載がない。「朝雅宥光」の刻印があるが、一体、誰なのだろう。いずれにしても馬加城は住宅化したものの、堂の山が残されたのは首塚パワー様様なのである。

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