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実籾城~千葉氏の城か?習志野市の城址巡り!

千葉県習志野市実籾本郷にあったとされる、実籾城へ登城する。(2014年4月実施)
実籾高校の南東に位置する台地から腰曲輪などの土塁が発見され、戦国時代の城とされている。その主郭と思われる場所には妙見神社が建ち、千葉一族の城であったと容易に推測できる。

実籾城遠景南方のゴルフ場から見た実籾城遠景。

また、実籾城の南部には武石城、馬加城があり、いずれも千葉氏の居城であることからその可能性は高い。なお、妙見神社から南東500m先に長胤寺があり、「胤」は千葉氏の名前に付けられるお馴染みの字(通し字)である。長胤寺近くの天津神社はもともとは妙見神社であった。

※長胤寺:寺内縁起では、千葉中興の祖・千葉常胤の三男・武石胤盛の子孫である武石長胤の館跡という。

1590年、豊臣秀吉による小田原攻めで、北条氏に組みしていた千葉氏は滅亡するが、そのときに千葉氏の尼が抜け穴から脱出したという伝説がある(らしい)。そもそも文献もなく実籾城の実態が明らかではないため眉唾であり、当然ながら抜け穴は発見できなかった。

実籾城と関係有るのか実籾郷の会
実籾郷の会という活動団体があり、実籾本郷公園及びその周辺の自然環境の保持・発展を図っている。また地域に残る伝統行事の保持伝承も行っている。

この看板を見る限り、実籾本郷は昔からの形態が残されているようだ。それであれば妙見神社の近辺にも城郭の名残があると判断。個人的な見解ではあるが、屋敷近隣公園、実籾高校、実籾本郷公園も実籾城の縄張りであると思われる。実籾城は砦ぐらいの規模しか無いと言われているが、はたしてどうなのか?

大原神社 大宮神社
実籾城近隣のスポットとして押さえておきたいのが、大原大宮神社。1124年に大原神社が創建。1592年ごろ現在地に大原神社が遷座され、1908年には大宮神社を合祀した。神社額には「大原神社 大宮神社」と書かれているのでこれを合祀というのか、やや微妙な感じ。

境内に置かれている神社縁起によると、天照の父親であるイザナギ(大宮)と母のイザナミ(大原)の2神が祀られている。1124年に実籾本郷に創建され、1592年、門前を通じる徳川家康の御成街道完成とともに現在地に遷座。遠い昔から縁結びの神として広く知られている。この大原神社が、昭和51年、全国八万社の中から第1次模範神社に指定された。また、下総三山の七年祭りの参加神社でもある。1124年の創建であれば、実籾城と何かしらの繋がりがあったのかもしれない。

屋敷近隣公園~家臣団の屋敷跡だろうか?

まずは実籾高校の南西に隣接する屋敷近隣公園を攻める。実籾城城下に広がる家臣団の屋敷でもあったのであろうか?少なくても江戸時代に屋敷があったわけではないようだ。

屋敷近隣公園は丘の上
保健福祉センターから入園する。屋敷近隣公園は丘の上にあり、実籾高校より少し高い位置になる。

馬頭観音
実籾高校正門近くの馬頭観音。荷物運びの馬が道中で急死した場合、その路傍に馬頭観音が置かれるなど動物供養の意味合いを持つ。競馬場の近くでもよく見られる石仏である。陸軍習志野学校や騎兵連隊に関与するものかと思ったが、文政年間の刻印もあり、もっと古くからあるようだ。実籾城と関係があるのかは定かではない。

帯状の土塁
屋敷近隣公園の南方に帯状の土塁を発見したので登ってみた。

屋敷近隣公園おくは畑
しかし南方には畑が広がり、屋敷近隣公園は窪地だったことに気がつく。登ったのは土塁ではなかったのか・・。

ゴルフ場
屋敷近隣公園の南東から、浜田川およびゴルフ場を挟んで妙見神社のある台地を眺める。

実籾高校は城郭かな
屋敷近隣公園の南東に出入口があるので、そこの階段を降りる。公園と実籾高校の間にある枡形道に出るが、まるで堀跡のような雰囲気がある。実籾高校はコンクリートで固められた高台の上にあり、曲輪の一部だったのではないかと勝手に想像する。

浜田川とゴルフ城と実籾城
グラウンドは校舎よりも低い丘にあるが、周辺の盛り土がなんだか城郭の雰囲気を思わせる。浜田川を渡り、妙見神社の方向を見上げるが、舌状と思われる台地に登るすべがない。そのため逆方向から回りこんで住宅街から進入するしかない。

実籾高校グランド脇
妙見神社方面の逆走となり、グラウンド沿いの畦道を歩く。とにかく実籾高校周辺は枡形道が著しく多い。

城郭探し
実籾高校と実籾本郷公園の間にある車道はヘアピンカーブ。目の前に盛り土があるが、さすがにこれは城郭の一部ではなさそうだ。

東屋
実籾本郷公園の最南部にある東屋。とりあえず、実籾本郷公園は後回しにする。

物見台跡か?大宮神社

実籾-大宮神社
実籾本郷公園の南方に急階段があり、そこを上ると大宮神社がある。狭い境内が民家で囲まれており、落ち着かない雰囲気であるが、見晴らしは良い。物見台だったのだろうか?

主郭近辺か?妙見神社

大宮神社から南下してアスファルトの坂を上り住宅街に進入。天守閣のような民家にはひときわ眼を見張るものがあった。やはり枡形道が多く、城郭だとうなずける。

天守閣のような民家
土塁の上に建つ妙見神社の社。

妙見社新築記念碑-実籾城登城記
妙見神社はさほど手入れがされていない模様で、ちょっとした藪の中にある。社の傍らに妙見社新築記念碑が置かれており、竣工昭和18年1月と彫られている。写真ではわかりにくいが、そこそこの規模がある土塁だった。

実籾城の登ったど
妙見神社から80m東にある実籾霊園に向かうが、途中で土塁らしきものを発見。そこに上り、南方を望遠してみたが、城郭としてそれなりの地形であることは理解できた。

大原神社 大宮神社
実籾城南方はまだまだ緑豊かだが、すぐに側ではブルドーザー等による破壊が進められていた。砦だったかもしれないような丘がどんどん無くなっていく。

土塁跡か実籾霊園
実籾霊園。これも土塁だったのだろうか?

無防備な実籾城
霊園の東方向はずっと平地であり、まったくの無防備。となると、西側からの敵軍を食い止める程度の砦だったのだろうか。

実籾城と実籾本郷公園
霊園を北上し主郭と思われる台地から下り、実籾本郷公園を探索する。

実籾本郷公園~湿地帯を利用した実籾城の要害か?

湿地帯の実籾本郷公園
実籾本郷公園は湿地帯となっており、菖蒲園などがある。また公園外には水田が広がっている。実籾城の北の守りは、湿地帯を利用したこの天然の要害だったのかもしれない。なお浜田川の水源地になっており、ホタルの生息地のようだ。

習志野市が水田を埋め立てて宅地開発を進めていったが、降水時には農業用水路が氾濫して冠水する被害が多発したため調整池を設置した。その調整池としての役割を終え親水公園化したのが、現在の実籾本郷公園である。

見晴らし良さそう
公園の西側には、まさに砦に建つ民家。見晴らし良さそうだが怖い気もする。

旧鴇田邸

鴇田邸
園内には移築された旧鴇田(ときた)邸がある。もともとは東金御成街道沿いにあった旧家で、農耕馬と一緒に住んだ曲屋(まがりや) である。曲屋は東北の南部地方でお馴染みだが、南関東に現存するのは珍しいという。

1727年(享保12年)に建築された茅葺屋根の家屋であり、江戸時代に実籾村の名主を務め ていた旧家の一つ(復元)。鷹狩りで通行した将軍 一行が休息した言い伝えもある。2005年に千葉県指定有形文化財になった。建築技法を記録にとどめることを目的に保存整備しているようだ。

駒止谷に沈んだ恋が語られる実籾本郷公園
実籾本郷公園の北側入り口。この先は民話広場となっており、ここより1.6km北にある場所で起きた悲しい習志野の民話「駒止谷(こまどめやつ)に沈んだ恋」が語られている。

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