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扇谷上杉氏の深大寺城へ!北条氏にスルーされた城

2014年4月、東京都調布市深大寺元町にあった深大寺城(しんだいじじょう)を登城した。太田道灌のボスである 扇谷上杉氏 が主に改修した中世の城でである。北条氏綱に攻略された江戸城を奪還すべく、上杉朝興・朝定親子がこの深大寺城を拠点としたようだ。上杉朝定は難波田氏に普請を命じたという。

深大寺城1537年、北条氏綱は深大寺城をスルーして、扇谷上杉氏の居城である河越城を攻略した。扇谷上杉氏は江戸城の奪還どころか河越城まで奪われることになる。そのため敗走する形で上杉朝定は居城を「武蔵松山城」へ代えた。その後、北条氏による深大寺城の改修が見られないことから同年に廃城されたと考えられる。

その後の扇谷上杉氏は、河越夜戦で滅亡

1546年、上杉朝定は河越城を奪還すべく山内上杉氏の上杉憲政、古河公方の足利晴氏と連合して8万の軍勢で河越城を包囲する。河越城城代の北条綱成は3千で立て籠もり苦戦。北条氏康が8千騎率いて援軍に向かい、夜戦で奇襲をかける。これに呼応して城兵も城門を開き打って出たので、東明寺を中心に激しい市街戦となった。結果、軍勢の多さから油断していた上杉・足利連合軍は敗走。上杉朝定は討ち死にし、扇谷上杉氏は滅亡する。

1486年、主君(上杉定正)に暗殺された太田道灌の予言「当方滅亡」の通り、上杉朝定を最後に扇谷上杉氏は事実上の滅亡となった。

なお、深大寺城は1998年の東京都指定史跡を経て、2007年に国史跡に指定された。北条氏の眼中になかったことにより、今もなお扇谷上杉氏の築城技術を伝える貴重な史跡となっている。

まずはさくっと深大寺観光

深大寺城は神代植物公園の附属施設である「水生植物園」にあるのだが、道中にさくっと深大寺観光に興じた。天台宗の浮岳山深大寺は、733年に満功上人が開基したとされる。深大寺だるま市で知られ、日本三大だるま市の1つである。

深沙大王堂と延命観音
写真左は深沙大王堂(じんじゃだいおう-どう)で、秘仏の深沙大王像が安置されている。むろん深大寺の寺号はこの深沙大王に由来する。

写真右が延命観音。昭和41年の秋田県象潟港工事の際、海底より偶然、延命観音が彫刻された大石が引き上げられ、深大寺に奉安された。

深大寺山門
薬医門という形式の深大寺山門は境内で最も古い建物で、数少ない茅葺き。元禄八年(1695年)に普請されたと伝わる。石段は平成20年改修工事が行われ、緩やかな傾斜となった。境内にはいくつかの湧水源があり、不動の滝は「東京の名湧水57選」に選定されている。

蕎麦の栽培や調理、水車に利用される湧水によって、名物の「深大寺そば」が発展したと言われる。ただし、現在では現地での蕎麦栽培は無く、青森県産などが使われているようだ。

水生植物園に残る深大寺城跡

神代植物公園分園である水生植物園に深大寺城跡がある。バス通りを挟んだ南側に石垣が並ぶが、これは当時のものなのかよくわからない。バス通りが枡形になっているところは城跡っぽい。

水生植物園に残る深大寺城跡写真
多くの観光客は、深大寺城跡まで足を伸ばすことはなさそうだ。

入園時間水生植物園
水生植物園の入り口。入園は4:00までと書かれている。水生植物園ならびに深大寺城址は柵で囲まれているため、時間に注意しないと散策できない。

水生植物園は調布市の北西部にあり、深大寺や深大寺城の高台に囲まれている。南北300m,東西60m,面積1.33ヘクタールの谷戸地に位置する。かつては水田であったが、環境保全の目的で昭和60年に水生植物園として開園した。

水生植物園のマップ
入り口に置かれている水生植物園のマップを見る。沼地の側が高台になっており、そこが深大寺城跡である。

深大寺城の沼地
国分寺崖線上の深大寺から湧き出す湧水によって沼地となっている。深大寺城の防衛に利用されたことは言うまでもない。

水生植物園は深大寺城の防衛線
まずは湿地帯を散策。城には興味のないT君も同行する。城郭規模が伝わるように規模比較のモデルになってもらおう。

深大寺城の腰曲輪を登る
水生植物園から高台を登るが、このあたりには腰曲輪がある。斜面の中腹に築かれる曲輪で、斜面が緩やかな場合に防御機能を補う。深大寺城は比高14mの多摩川河岸段丘の地形を活用している。

腰曲輪
高台を登る途中に、当時のまま思われる腰曲輪の石垣を発見したが、バス通りにある整備された石垣とは違って趣が感じられる。水生植物園を見下ろすと、中世の城にきた実感が味わえる。上杉朝定が改修する以前、創築年代不明のふるき郭(古城)という城の基礎があったようだ。

一郭(主郭)

深大寺城の第一郭(主郭)
高台を登り第一郭(主郭)に到着し、そこには深大寺城跡の標柱が建つ。主郭は東西50m・南北90mほどの規模。案内板には、「深大寺城は半島状台地の先端に位置し、当時は南方が一望できた」と書かれている。標柱の後方は櫓台として小高い土塁が残る。

連郭式城郭
深大寺城の縄張り図。主郭、二郭・三郭の連郭式城郭であり、主に主郭、二郭が公園化されている。
二郭・三郭間の空堀付近はテニスコートになっており、さらに東西に広がる三郭は住宅地開発で破壊されている。

深大寺城の二郭~掘立柱建物があった

二郭の空堀
主郭から二郭につながる土橋と、その二郭の空堀跡と土塁。当時はもっと深い堀であったはず。深大寺城は郭を土塁で取り囲んでいるところが特徴的。

堀立柱建物
建物跡の位置表示のため石柱が置かれている。発見された掘立柱建物のうち2棟の柱穴の位置である。

戦国時代の城の建物
「建物は武士の屋舎であろうと考えられる。一般的に戦国時代の城の建物は丸柱・板葺き屋根で、床は中心的な屋形のみにあった」と彫られている。

深大寺城二の丸
二郭側の土塁は一部復元されたものらしい。

深大寺そばは小学生だけ食べられる
二郭の隅では深大寺小学校5年生が種まきをするそば畑があり、おそらく課外授業用と思われる。収穫した蕎麦は地元の蕎麦屋が手打ちそばにして、深大寺小学校の生徒に振舞っているらしい。

観光客が食べる蕎麦は現地のものではない。深大寺そばが名物と言いながら、現在は現地でまったく栽培していないのは「なんだかなあ」と感じる。真の「深大寺そば」が食べられるのは、深大寺小学校の生徒だけということか。

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