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再び、八王子城を登城!ガイダンス施設もオープン

2009年6月に初めて八王子城へ訪問したが、2013年10月に、城に全く興味のないメンバーを引き連れて再度、登城することとなった。2012年には八王子城ガイダンス施設がオープンし、体験型の展示スペースが設けられた。以前来た時と違って、初心者にも馴染めやすいサービスが開始されている。

八王子城は東京都八王子市元八王子町に所在する。北条氏の本城小田原城の支城であり、16世紀末に北条氏照が築城した。滝山城を拠点としていたが武田軍の猛攻に防御の脆さを知り、八王子城に拠点を移す。(パンフによれば築城1573年?~、1584~1587年の間に移転したとされる)

豊臣秀吉の小田原攻めの一環で、1590年6/23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められ1日で落城。小田原城の無血開城は八王子城落城が大きく影響していると言われる。氏照を始め主戦力は小田原城に集結しているので、八王子城の籠城は領民・老兵などがほとんどだったという。戦いの様子は「新編武蔵国風土記稿」、「武蔵名勝図会」に記されている。※江戸時代の編纂

根小屋地区の一部~近藤曲輪から管理棟まで

八王子城の縄張りはいくつかの地区に分かれ、本丸などの山頂付近や尾根道が要害地区、御主殿などの館跡が居館地区、城下町が根小屋地区である。根小屋地区は広範囲であり、落城後の開発の影響であまり調査は進んでいないようだ。

近藤曲輪
霊園前のバス停から西側へ入って行くと、舗装された道がまっすぐ続くが、そこは根小屋地区というかつての城下町である。根小屋地区には宗関寺、北条氏照と家臣団の墓、ガイダンス施設と駐車場がある。そして土塁で囲われた近藤曲輪が眼に入ってくる。

八王子城地形模型
近藤曲輪はエントランス広場となっており、八王子城地形模型が置かれている。本丸は標高460mの深沢山の山頂にあり、尾根や谷、平地など自然の地形を利用した戦国時代の城郭。史跡指定地は約154haあるが、実際の縄張りはもっと広いとのこと。

管理棟

八王子城の調査は昭和52年以降
近藤曲輪の向かいが管理棟となっておりボランティアのおっちゃんが待機している。ここにはタイルの地図・説明看板が置かれている。八王子城の調査は昭和52年以降に継続的に行われ、現在に至る。

北条氏勢力図
八王子城および小田原城落城の1年前の北条氏勢力図。八王子城は小田原城の北の守りに位置する。
八王子城籠城戦以外では、忍城の籠城戦が「のぼうの城」で有名。

滝山城八王子市の城館分布図。北条氏照が八王子城の前に居城としていた滝山城は、八王子城の北東にある。

居館地区

城主の北条氏照の館があった御主殿跡など居館地区を見て回る。

山麓付近の平地が居館地区
管理棟にあったイメージマップ。山麓付近の平地が居館地区となる。

曳橋

八王子城の曳橋
古道を通り曳橋まで行くが地震でダメージを受けたのか、通行禁止だった。曳橋は御主殿へ渡るために城山川に架けられたもので、戦闘時には取り払われる橋であるが、現に渡ることの出来ない橋となった。

橋台石垣
発掘された時の「橋台石垣」。


橋が渡れないので引き返し、御主殿の滝ルートから御主殿に向かう。

御主殿の滝

御主殿の滝
御主殿の滝。落城時、北条方の婦女子や武将らが滝上流で自刃して、次々とこの滝に身を投げたと伝わる。三日三晩赤く染まったんだとかで、心霊スポットになっている。前日が台風だったこともあり、滝の水量が多い。

御主殿跡

八王子城の御主殿跡
氏照の館があったとされる、御主殿跡に到着。15mもの盛り土をして館を構えていた。
落城後は徳川幕府の直轄領、また国有林だったこともあり、遺構の保存状態が良かった。2009年に登城した時にはなかった礎石が置かれている。

主殿では政治向きの行事が行われたとされる。建物は平屋建てで、瓦ではなく板葺きか檜皮葺らしい。中国の磁器類の破片、国産陶器、鉄砲の弾、ベネチア産のレースガラス器破片などが出土している。

虎口(こぐち)

冠木門
虎口を通り御主殿を後にする。冠木門(かぶきもん)が復元されているが、これはイメージで建てられている。


虎口の石畳や石垣では、できるだけ当時のものを使っており、忠実に復元しているとのこと。自然石を加工せずに積み上げる野面積みが技法として使われている。

曳橋付近から御主殿内部までコの字になった通路で、高低差は約9mもある。発掘時の写真が掲載されているので復元時と比較することができる。

新道ルートで要害地区へ

急な斜面で守られる山頂や尾根道が要害地区となる。本丸、松木、小宮、詰の城という曲輪が残る。籠城戦になると戦うところで、兵糧などを入れる倉庫が建てられたと推定され、井戸が2箇所、現存している。

八王子城の要害地区
山頂の八王子神社ならびに本丸へ向うため登城。鳥居から本丸まで所要時間40分が目安。
前回はマニア向けの「殿の道」を通ったが、今回はメジャーな新道を通り、まずは金子曲輪に到着。

金子曲輪

金子丸金子曲輪ならびに金子丸は、金子家重が守備したといわれ、尾根をひな壇状に造り防衛している。南斜面には梅や椿、紅葉を見ることができる。

柵門跡

柵門跡
柵門跡と呼ばれる、本丸に繋がる道の尾根に築かれた平坦地。詳細は不明。

小宮曲輪の下

八王子市街地
小宮曲輪の下の道が絶景ポイント。八王子市街地、東京都心部まで見渡せる。条件がよければ筑波山や房総半島が一望できるとのこと。前回は曇っていてこうは見えなかった。

八王子神社

八王子神社に到着
牛頭天王と八人の王子(眷属神)を祀っている八王子神社に到着。八王子市の地名の由来になっていることは言うまでもない。なお、この八王子大権現は916年に華厳菩薩妙行が祀ったとされる。氏照は築城に当たり、八王子大権現を城の守護神としている。

松木曲輪

松木曲輪
八王子神社の南に位置するのは、松木曲輪。二の丸とされる。中山勘解由家範が守備したとされ、多勢に無勢で陥落した。家範の勇猛ぶりが徳川家康に知れ渡り、家範の孫・中山信治は家康に取り立てられ、水戸家の家老にまでなった。なお、根小屋地区にある北条氏照・家臣団の墓は、百回忌を機に信治が建てたもの。

八王子城本丸

本丸
一旦、八王子神社に戻ってからさらに奥へ登って行くと、本丸に到着。言うまでもなく、八王子城の最重要拠点であり、横地監物吉信が守備したとされる。

小宮曲輪

本丸の東側に狩野一庵が守備した小宮曲輪があるが、藪をくぐらないと行けないので今回はスルーした。

八王子城跡ガイダンス施設

八王子城と北条氏照
2012年にオープンした八王子城ガイダンス施設。外光を取り込んだ展示スペースとなっている。
「ガイダンス施設は、八王子城跡見学の拠点として八王子城と北条氏照について分かりやすく学べる施設。展示スペースと休憩スペースに分かれており、八王子の八にちなんで八角形の建物になっている。」

日本100名城
八王子城は国史跡であり、日本城郭協会により日本100名城に選定されている。


滝山城と立体的に比較できるところが面白い。

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