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DELLユーザーパソ兄さん、大和 郡山城へ

2013年7月12日から5日間、奈良・和歌山を訪問しました。14日に五條市で法事があり、その日に身内と合流することになったのですが、観光目的で一足先に到着しました。社会人になってからの奈良訪問は「2007年、2009年、2013年」で3度目となります。

吉野山への道中、大和郡山城へ寄る。

2013年7月12日、7:30 JR奈良駅に到着。前日23:00より東京から深夜バスで来たため、2時間ほどのうたた寝しかしておらず非常に眠い。体調は万全ではないが、本日の予定は吉野山の制覇。関西本線「郡山駅」から「近鉄郡山駅」へ歩いて乗り換えるのだが、その道中、大和 郡山城(やまとこおりやまじょう)へ登城することにした。

というわけで、ここのコンテンツでは大和郡山城をレポートする。 なお、郡山城は日本100名城に選ばれていない。奈良県にある日本100名城は高取城だけである。

奈良駅駅舎
(この写真は保存されている昔の駅舎)

郡山城の外堀跡
関西本線「郡山駅」に到着し、近鉄橿原線「近鉄郡山駅」へ向かう途中で、郡山城の外堀跡を見た。現在は埋め立てられて遊歩道となっている。

豊臣秀長100万石の城、大和 郡山城

1580年、筒井順慶がこの付近に館を築き、織田信長の後援を受けて大和一国を平定。後に豊臣秀長が100万石で入城し、本格的な城郭構築と城下町の建設を開始。ついで増田長盛の代で縄張りが完成。
以後、水野、松平、本多など徳川譜代の家臣の居城となり、柳沢氏15万石を最後に明治維新まで続いた。

郡山城-五軒屋敷池と鉄門
近鉄郡山駅あたりでは、内堀や石垣を目にすることができ、城下町の雰囲気を楽しめる。2007年に一度訪問しており、今回で2度目となる。この写真は、五軒屋敷池と鉄門があったところの石垣。ここから登城開始!

郡山城絵図

郡山城絵図
江戸時代の縄張りを示した郡山城絵図。郡山城の二の丸は現在、郡山高校になっており、五軒屋敷池と柳郭の間を近鉄橿原線が走る。柳郭は4軒の家老公邸と評定所があったので、五軒屋敷と呼ばれているようだ。

柳郭(五軒屋敷跡)と金魚の塔

郡山城-金魚の塔
五軒屋敷のあった柳郭は遊歩道になっており、水堀も僅かに残されている。なお、郡山の名物である金魚を示すように「金魚の塔」が建つ。郡山城には金魚池遺構があり、柳沢氏が金魚の養殖に熱心だったようである。
幕末では藩士の副業、明治維新後は職を失った藩士よって養殖が盛んに行われた経緯がある。

郡山城の本丸(柳沢神社と天守台)

郡山城-柳沢神社の参道
本丸へは柳沢神社の参道となっており、内堀を眺めることができる。

郡山城-柳沢神社
柳沢神社の祭神は柳沢吉保。神社の創建は明治13年。 「柳沢吉保は、5代将軍・徳川綱吉の幕臣。元禄7年に川越城・城主、宝永元年には甲府城・城主となる。1724年、長男の柳沢吉里が大和郡山藩主として移封される。」以降、6代140年間、柳沢氏が15万石の大名として明治維新まで続く。

郡山城-天守台石地蔵
柳沢神社の奥には野面積みの天守台が残る。石垣倒壊の恐れがありロープで立ち入れないようになっているため、天守台には上がれない。

大和郡山城に登城
この写真は、2007年9月に登城したときのもの。この時は天守台に登れた。

郡山城の本格的な築城は、1585年以降、豊臣秀長(秀吉の弟)が入部したときで、100万石の居城にふさわしい城造りがなされた。紀州根来寺の大門を運んで城門とし、春日神社の水谷川から大石を切り出し運び込まれる。築城のための石不足となり、奈良中に五郎太石(手のひらサイズくらいの加工されていない石 )の採集が命じられ、寺の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵まで接収された。

郡山城-さかさ地蔵
そういうわけで天守台には罰当たりな名所があり、地蔵菩薩が逆さに積み込まれている。これは「さかさ地蔵」と呼ばれており、大永3年(1533年)の刻銘がある。また、平城京羅城門の礎石も積み込まれている。

毘沙門郭(柳沢文庫)

本丸の東、毘沙門郭に出ると、図書館の柳沢文庫が建つ。柳沢文庫では柳沢氏など歴史的資料など保存・公開している。建物は明治時代に建設された柳沢邸である。

郡山城-図書館の柳沢文庫
毘沙門郭から見る内堀はなかなか圧巻で、本丸と毘沙門郭を繋いでいた「極楽橋」を再現しようと活動しているようだ。

郡山城~追手門(梅林門)

郡山城追手門。もともと一庵丸門と呼ばれていたが、郡山に移封となった柳沢吉里は梅林門と改名した。明治維新で廃城となり建物は撤去されたが、郡山城復興の声が高まり、市民によって復元された。

郡山城-追手門(梅林門)
これは秀長築城期の姿らしい。

奈良県の郡山城
20分ほどの短時間登城であったが、郡山城を後にして吉野山へ向かう。郡山城レポートは以上。この後、吉野山へ向かった。

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