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DELLパソ兄さんの、橿原・飛鳥路の旅(奈良県)

奈良県橿原市にて、本薬師寺跡、藤原京跡、橿原神宮、神武天皇御陵を巡り、大和三山に囲まれた万葉集の里を堪能する。また、明日香村では、飛鳥寺、石舞台古墳を巡る。

万葉集の里、奈良県橿原市の遺跡巡り

2013年7月14日、五條市で法事を終え、旅館のある橿原神宮前駅に19:30に到着。翌日(15日)は、壺阪山駅から高取城へ行き、後半はここに戻り、橿原・飛鳥路の旅を決行する。

橿原神宮前駅
この橿原神宮前駅、ホームが入り組んだ配置になっており、地下通路に気づくまで困惑した。辺りを見回すと、外食できそうな雰囲気でなくて焦ったが、169号線に出たらそこそこチェーン店があって助かった。

好生旅館
宿泊先は駅近の好生旅館。駅前の観光マップにも載っているくらいなので、かなりの老舗なのだろう。建物はかなり老朽化しているが、お値段はリーズナブル。(なお、館内のコインランドリーにある乾燥機、1時間回したけどまったく乾かなかった。ほとんど蒸しただけ。泊まる方は注意されたし。猛暑と雨の影響で衣類ピンチに陥ったが、こいつのせいでさらに拍車をかけた。)

本薬師寺跡
夕食後、食べ過ぎたのでカロリー消費にため少々散歩をする。とりあえず本薬師寺跡に行ってみたが、街灯が少なくよく見えない。なんか、民家みたいだったので撤退した。

橿原遺跡
畝傍御陵前駅を越え、陸上競技場経由で旅館に戻ることにした。競技場と野球場のあたりは橿原遺跡で、縄文時代を中心に飛鳥・奈良時代までの多くの遺構や遺物が発見されたらしい。出土した土器は橿原式といい、縄文時代晩期の指標になっているのだとか。いかんせん暗くて散策には適さないので、明日、高取城から戻ったら再び散策しよう。

奈良県立橿原考古学研究所
高松塚古墳の発掘で知られる「奈良県立橿原考古学研究所」。その付属博物館のゆるキャラ「イワミン」が畝傍御陵前駅地下通路にいた。

橿原神宮前駅から壺阪山駅へ
翌朝9:00(2013年7月15日)、高取城を目指し、橿原神宮前駅から壺阪山駅へ向かう。
パソ兄さんの高取城巡り

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

高取城巡りを終え、14:00ごろ橿原神宮前駅に戻ってくる。再度、本薬師寺跡(もとやくしじあと)へ訪れた。白鳳時代を代表する遺跡なんだとか。民家の裏に巨大な礎石群が並び、見応えがあったが、民家の庭みたいなところにあるので、ちょっと不法侵入している気にもなった。少々離れた田んぼの中に東西二塔の心礎があるらしいが、見そびれた。

橿原の本薬師寺跡(もとやくしじあと)
本薬師寺は西の京に位置し、日本書紀によると、680年、天武天皇が皇后(持統天皇)の病治癒祈願のために建立発願したそうな。698年には伽藍がほぼ完成していたと伝えられる。平城京遷都に伴い、718年平城京に移転された。1976年の発掘調査で、一部の堂塔は移築されないまま、ここに残っていた可能性が判明した。

日本史上初の最大規模の都市!藤原京跡

藤原京には、持統天皇、文武天皇、元明天皇の時代、16年間に渡り宮殿があった。律令体制が進むにつれ、天武天皇は新しい都市構想を持ち、それを実現させたのが次帝の持統天皇である。
日本史上初の最大規模の都市で、唐の長安を模している。飛鳥浄御原宮(伝・飛鳥板蓋宮跡?)から694年に遷都し、710年に平城京へ遷都されるまで都が置かれた。

最大規模の都市!藤原京跡
藤原京跡の西側から突入!朱色の柱だけ建っているところは、朝堂院西門があったと想定される場所。

橿原市醍醐池
藤原京跡の北側の醍醐池。ここの道路は狭い上に交通量が多く、おちおち歩いていられない。

橿原市の藤原京跡を歩く
藤原京跡は野球場や散策道となっている。変に観光地化するよりも、遺跡とはこうあるべきだ。
なお、ここを通るやいなや、2007年の平城京散策に似た感覚を思い出した。

平城京を散策
こちらの写真は、2007年に平城京を散策したときのもの。基本的なコンセプトは藤原京から引き継いでいるようだ。2010年の平城遷都1300年記念事業後、どうなっているのかは知らない。

橿原といえば、大和三山

2009年、祖母の葬式で奈良に来た時、「親戚一同でどこか観光していこうか」という話になり、パソ兄さんは「大和三山を眺めるハイキング」を提案した。プレゼン能力が足りなかったのか、即、却下され、定番の東大寺になってしまった苦い思いがある。(ちなみに時間がなくて観光は実行されなかったけど)。
今回はひとりなので思う存分、大和三山を堪能しよう。なお、大和三山は、歴史的風土保存区域ならびに国の名勝に指定されている。「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として世界遺産登録を目指しているようだが・・。

畝傍山-橿原市
藤原京西側の畝傍山(うねびやま)。標高199m。

耳成山-橿原市
藤原京北側の耳成山(みみなしやま)。標高140m。

天香久山-橿原市
藤原京東側の天香久山(あまのかぐやま)。またはただの香久山とも。万葉集では香具山と歌われている。また、百人一首でも詠まれるほどの存在。南麓にはアマテラスが岩戸隠れをしたという場所があり、天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)が建つ。標高152m。

大和三山というくらいだから、奈良で屈指の高さを誇る三大山なのかと思いきや、200mにも満たない山々なんですね。今更ながら、「藤原京の観点から見る大和三山」だったことに気づく。パソ兄さんのお気に入りは、飯を盛ったような形の畝傍山である。なお、万葉集には香久山と耳成山が畝傍山をめぐって争う歌がある。畝傍山は人気があるんだねえ。

古代蓮
この時期の藤原京では、古代蓮が見頃になっていた。

飛鳥路散策!明日香村へ

飛鳥歴史公園(甘樫の丘)を通過する。甘樫の丘は200mの丘で蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅であり、城柵を立て兵も配備したという。麓を飛鳥川が迂回している地形である。645年、入鹿が暗殺されると、蝦夷は邸宅に火を放ち自害したという。

甘樫の丘
そして飛鳥寺に到着。このあたりは橿原市ではなく、明日香村である。

蘇我入鹿暗殺の舞台!伝・飛鳥板蓋宮

伝・飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)跡を通過。板蓋宮は皇極天皇(7世紀中頃)の皇居で、飛鳥京跡にあったと伝えられているが、現在発掘中で断定されていない。

飛鳥板蓋宮
乙巳の変(我々の世代では大化の改新として習った)の舞台である。645年、中大兄皇子&中臣鎌子が宮中にて、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺したクーデター。

石舞台は丸裸の古墳

日本最大の方形墳石舞台古墳
石舞台地区に到着。教科書でお馴染みの石舞台は、封土(古墳をおおう盛り土)を失った古墳で、いわば丸裸の状態なんだとか。横穴式石室では最大級で、蘇我馬子の墓と推定されている。日本最大の方形墳で、30数個の岩の総重量は2300t。天井石だけで77tもあるらしい。どのように巨石を運んだのかがミステリーなのである。※蘇我馬子が蘇我氏の全盛期を築く。子は蘇我蝦夷、孫は蘇我入鹿。

なお、石舞台古墳周りは空き地になっている。(それも遺跡なんだろうけど)

250円する石舞台
石舞台古墳を見るのに入場料を取るらしいので、スルーする。なお、垣根で覗きが見出来ないようになっている。

橘寺

田道間守と橘寺
橿原神宮駅に戻る道中、聖徳太子誕生所である橘寺付近を通過。橘寺の由来は、垂仁天皇の命令で田道間守(菓子の神)が持ち帰った不老不死の果物(橘の実)を植えたことから来ているらしい。

垂仁天皇の古墳
ちなみに、こちらは2007年に訪問したときの垂仁天皇の古墳。近鉄橿原線の尼ヶ辻駅の近くにある。田道間守の墓もあるらしいが・・。

奈良県最大の前方後円墳!丸山古墳

丸山古墳を通過。この辺りはすでに橿原市。丸山古墳は奈良県最大の前方後円墳で、国指定史跡になっている。(6世紀後半に築かれたという)。前方後円墳なのに以前は円墳として認知されていたため、「丸山古墳」と呼ばれてしまっている。一説では蘇我馬子の父である「稲目」が埋葬されているという。

橿原市丸山古墳
橿原市の見瀬町、大軽町、五条野町のエリアにまたがって位置しているので、「見瀬丸山古墳」とか、「大軽丸山古墳」とか「五条野丸山古墳」とか呼ばれているようだが・・。まるで、山梨か静岡かの富士山状態。
残念なことに、国道169号線が古墳の一部を削ってしまっている。

橿原神宮と神武天皇御陵へ

橿原神宮の祭神は初代天皇とされる神武天皇。神武天皇が日向(現在の宮崎県)から熊野に回り、八咫烏に導かれて吉野山を越え、大和(奈良)に落ち着いたという伝承がある。紀元前660年元旦、橿原宮で初代天皇として即位したとあるが、かなり伝説的な話である。なお、即位した月日を新暦で換算すると2月11日で、建国記念日として祝日になっている。

橿原神宮
とりあえず橿原神宮でお参り。畝傍橿原宮があったとされるこの場所に、橿原神宮が建つ。

橿原市のさざれ石
国歌でお馴染み「さざれ石」。もともと小さな石、細かい石という意味で、炭酸カルシウムなどが入り込み固まって1つの石になるという。石灰質角礫岩というものらしい。国歌は、「日本国が、さざれ石(国民)が結束して岩となって、苔が生えるまで末永く栄えますように」という意味なんだとか。

神武天皇御陵
橿原神宮に北接する神武天皇御陵を参詣。

武蔵野陵に似た
砂利道が続き、昭和天皇の武蔵野陵に似た雰囲気だ。

生国魂温泉
神武天皇御陵を出たあと、「生国魂温泉」とやらを発見。温泉と言うよりも銭湯であった。明治時代から村の浴場として続いているらしく、住民のための共同浴場みたいだ。シャンプーや石鹸、ドライヤーなどはいっさい無し、入浴していた客は皆知り合いのようだった。200円と格安だったし、とりあえず汗を流すことが出来て良かった。

畝傍山に別れを告げて、おかんの実家の墓参り(大坂の河内松原)へ向かう。高取城のあと、立て続けの橿原・明日香観光は、かなりのハードスケジュールであった。

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