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松山城(武蔵国)と吉見百穴へ行く

2012年11月、河越夜戦古戦場跡や本丸御殿を巡った後、東松山駅から歩いて、武蔵松山城ならびに吉見百穴を訪れた。松山城は埼玉県比企郡吉見町にあった戦国時代の城で、「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定されている。

数々の攻防戦伝説が残る、松山城(武蔵国)

松山城は市野川が形成した広大な低地に突き出た比企丘陵の東端に築かれており、戦国時代における山城の姿がほとんどそのままに残されており、深さ最大9mの空堀などが現存する。
城史では「新田義貞陣営説、上田左衛門尉説、上田上野介説」があるが、城郭としての体裁を整えたのは15世紀半ばと思われる。(太田氏が江戸城、川越城、岩槻城の築いた頃)

松山城(武蔵国)縄張り
史上に登場するのは1524年1月以降であり、室町幕府要職にあった古河公方(足利)、扇谷・山内両上杉氏の対立時期、および北条氏の関東制覇を進める時期である。天文~永禄年間はこの城をめぐり、上杉・武田・北条の争奪戦となる。

松山城落城

1590年、豊臣秀吉の小田原攻めでは北条方の支城として機能したが、落城。(この時の豊臣勢は前田利家・上杉景勝、松山城主は北条の傘下にある上田憲定)。その後、松平家広の一万石の居城となったが、弟の忠頼のときの1601年に浜松に転封となり、松山城は廃城となる。

比企城館群として国指定史跡

平成20年3/28に国指定史跡となっている。「菅谷館跡、松山城跡、杉山城跡、小倉城跡」の4つの城館跡をまとめた広域指定であり、指定名称は「比企城館群・松山城」。

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いざ、松山城登城

岩室観音堂からスタートする松山城
案内板にあった松山城の縄張り図。今回は時間がないので3分の1も満たない短距離ルートで登城します。難所である岩室観音堂から登城します。

松山城入り口岩室観音堂
岩室観音堂からスタート。ここの説明板では次のことが書かれていた。「岩をうがって観音像を祀ったところから岩室観音という。810~824年ごろが始まりと言われているが定かではない。松山城主が代々信仰していたが、1590年(小田原攻めの支城戦)の攻防戦で焼失。1661~1673年に再建し、懸造り様式のお堂は江戸時代のものとしては珍しい。88体の石仏を祀っており、拝めば四国八十八ヶ所を巡礼したのと同じ功徳がある」

岩室観音堂の裏手はかなりの勾配で、ここを登っていきます。

松山城の鎖場
史跡めぐりに同行してきたオカンを先発隊に命じました。2手のコースが有り、左コースは鎖場。
「どっちやねん?」というので、鎖場を行ってもらいました。結果、鎖場の方は胎内くぐりが出来るだけで、右側のコースとつながっています。アドベンチャーを楽しみたい方はお試しあれ。

松山城址碑
まず兵糧倉に到着。標識が一本立っているだけで辺りは雑草の茂った野良路。スズメバチに追われながらザクザクと本丸に進み、松山城址碑に遭遇。本丸から二の丸を確認。(写真右下)

松山城址案内図
本丸の風景。本丸からの眺望。松山城址案内図があるので詳しく学習出来ます。それにしても礎石らしき物が残っていますが、神社でも建っていたんでしょうかね。

松山城ハイキング
ササ郭の横を通り、出口に向かいます。変に公園化されていなくて史跡めぐりを堪能出来ました。

もぐら戦法
岩室観音堂の近くで、松山城に掘られたトンネルを発見。すぐ近所にある吉見百穴を見た武田信玄が、松山城攻めの際、「もぐら戦法」を思いついたという伝説があるようですが、これのことを言っているのかな?

吉見百穴~地下軍需工場跡が見もの

松山城から徒歩数分ほどのところに吉見百穴(よしみひゃくあな)があります。場所は埼玉県比企郡吉見町。江戸時代中頃には百穴の呼び名があり、当時から不思議な穴と興味を持たれていた模様。吉見百穴が科学的に研究されたのは明治になってからのことです。穴の数は219個あるらしい。まさに埼玉のカッパドキアですね。

吉見百穴
明治20年、当時東京大学院生だった坪井正五郎が大発掘を行い、人骨や土器、金属器などを出土。
坪井は「この横穴は土蜘蛛人(コロボックル人~アイヌの伝承に登場する小人)の住居で、後に墓穴として利用された」と発表。大正時代の発掘調査で、古墳時代後期の横穴墓であることが明らかにされ、居住説は覆された。

国の指定史跡となった吉見百穴
大正12年には代表的な横穴群として国の指定史跡となった。戦時中には地下工場の建設が行われ数十基の横穴が壊されたが、戦後、保存会が結成されて保存管理されている。観覧料は大人300円。

大宮向上エンジン製造部門~吉見百穴
岩山の地下に、戦時中の素掘りされたトンネルがあり、地下軍需工場が建設された跡がある。太田市にある中島飛行機(現・富士重工)の大宮工場エンジン製造部門全施設を移転することになった。掘削には全国から集められた3000~3,500人の朝鮮人労働者で突貫工事が進められる。トンネルは幅4m、高さ2.2mで、公開されているのは10分の1の広さもない。地下軍需工場が完成し工作機械が搬入されたが、本格的な生産に入る前に終戦を迎えた・・。

奥まで進んでいくと危険なため鉄柵でふさがれているが、一本道ではなくいくつかのブロックで穴がつながっている。現在公開されているのは左右500mの山腹に掘られた一部。

そもそも、なぜこんなところに軍需工場を移転するのか?って話ですが、日本各地の軍需工場はB29爆撃機により被害を受けており、隠れ蓑になる地下軍需工場が考えられたからです。

ヒカリゴケ
吉見百穴はヒカリゴケが関東平野で自生している大変珍しい場所である。鉄格子で保護されている穴を覗きこんでみたが、かろうじて分かるかなくらいの規模だった。ヒカリゴケの生育には年中一定の気温と湿度が必要であり、この様子をみると環境破壊が進んでいるのだろう。

おじさん掘ってる!の岩窟ホテル

吉見百穴を見るなら、隣近所の岩窟ホテルも要チェックです。明治37年(1904年)、近所に住む農家の高橋峯吉さんがたった一人でノミ1つで掘り進めて、150年後の孫の代で完成する予定だったらしい。2代目も頑張ったらしいが完成することはなかった。峯吉さんだけで21年間も掘り続けていたそうです。

吉見百穴隣の岩窟ホテル
本当に岩窟ホテルを作ろうとしたのか?どうやら醸造用の巨大冷蔵庫を作ろうとしたらしい。「おじさん岩窟を掘ってる、掘ってる、ホッテル、ホテル」から、いつの間にか岩窟ホテルと呼ばれた。過去に崩落事故があり、現在では柵が設けられている。この荒れ果てぶりから心霊スポットや廃墟マニアのスポットになっているようだ。

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