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河越夜戦古戦場跡や本丸御殿へ

2012年11月、小江戸の異名を持つ川越藩の城下町、埼玉県川越市に行ってきました。テレビやガイドブックに度々注目される人気の観光都市ですが、一番の目的は河越夜戦の古戦場巡りです。

平安~鎌倉時代、秩父平氏の流れを組む河越氏が拠点としており、室町時代には扇谷上杉氏の家宰・太田道灌が河越城を築いています。戦国時代後期では河越夜戦で周知の通り、小田原北条氏の武蔵国における支配地になっています。ちなみに近世では「川越」と表記されますが、中世では「河越」と表記されています。

蔵造りの町並みと蔵造り資料館

時の鐘などで知られる蔵造りの町並みを通ります。重要伝統的建造物群保存地区、美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれているのですが、その町並みはそれほど長くは続かない。また蔵造りが立ち並ぶのは片側だけなので、テレビや雑誌のいい所撮りを真に受けていると、少し拍子抜けするところもある。

川越の蔵造りの町並み
買い物がメインの観光客なら楽しめるのでしょうが、史跡マニア的にはピンと来ない。いかんせん道路が整備されすぎており、歩行スペースの狭さや自動車の通行量の多さが気になる。蔵造りの町並みを外れると、完全な都会であり、最寄り駅の川越駅や本川越駅周辺では本当に蔵の町なのかと疑ってしまうくらいだ。せめて蔵造りの町並みだけは歩行者天国にしてもらいたい。

川越の時の鐘
なお、時の鐘は現在4代目であり、1日に4回(6時、正午、15時、18時)鐘の音を響かせる。

蔵造り資料館
市指定文化財の蔵造り資料館に入ってみた。入館料金は一般100円で良心的。蔵造り資料館の建物は、当時煙草卸商であった小山文造が建てたもので、蔵造り家屋の意匠や構造、敷地内の様子を体験出来ます。古き良き日本の家屋って感じで和みます。ただ、この日はアートギャラリーに使われていて、絵画などアート作品で部分的にごった返していた。・・・アートを見に来たわけではないのでここは頂けない。

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東明寺~河越夜戦の激戦地

蔵造りの町並みを北へ進んでいくと、東明寺があります。ここは日本三大奇襲のひとつである河越夜戦の激戦地。北条氏の武蔵国支配を決定づけた戦いです。古戦場といっても境内に記念碑と説明板が立っているだけなんですけどね。昔はすごいことがあったんだという思いを偲ばせ、勝手に堪能します。
※河越夜戦は東明寺口合戦とも呼ばれた。

河越夜戦の激戦地-東明寺
河越夜戦について簡単に説明します。「1537年の戦いで、扇谷上杉氏の上杉朝定は北条氏綱に河越城を奪われる。1546年、上杉朝定は奪還すべく山内上杉氏の上杉憲政、古河公方の足利晴氏と連合して8万の軍勢で河越城を包囲する。河越城城代の北条綱成は3千で立て籠もり苦戦。北条氏康が8千騎率いて援軍に向かい、夜戦で奇襲をかける。これに呼応して城兵も城門を開き打って出たので、東明寺を中心に激しい市街戦となった。結果、軍勢の多さから油断していた上杉・足利連合軍は敗走。上杉朝定は討ち死にし、扇谷上杉氏は滅亡する。」

その後の1590年、豊臣秀吉による小田原攻めが始まります。支城攻めが開始されると、北条方である河越城は前田利家ら豊臣勢に攻められて降伏しています。

数少ない河越城の遺構、中ノ門堀

中ノ門堀が一部残されています。西大手門(市役所方面)から本丸目指して城内に敵が攻め込んできた場合に、中ノ門堀が立ち塞がります。中ノ門堀を含む3つの堀が阻むことで直進できず、怯んだ敵を鉄砲や弓矢で打ち取ることができます。

数少ない河越城の遺構、中ノ門堀
中ノ門堀の当初の規模は、深さ7m、幅18m、東側の勾配60度、西側勾配30度。明治時代以降、河越城の遺構はことごとく破壊されましたが、中ノ門堀は城内に残された唯一の堀跡です。

川越城本丸御殿

関東七名城・日本100名城の川越城ですが、扇谷上杉氏の上杉持朝が足利成氏(古河公方)に対抗する為に必要とされ、1457年、家臣の太田道真・道灌父子が築城しました。1639年の江戸時代では川越藩主・松平信綱が、大規模な拡張・整備を行う。1848年、本丸御殿は川越藩主・松平斉典が造営し、16棟、1025坪の規模があったが解体され、一部が残されています。 ※川越城の別名は初雁城、霧隠城。

川越城本丸御殿
本丸御殿外観と内庭。現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。

川越城本丸御殿36畳の大広間
36畳の大広間。城内の会議を行うときに使用された。具足が2体あるがこれについての案内板はなかった。また、戦後、中学校の運動場として使用されたこともあり、天井には無数のボールの跡が見られる。

通りゃんせの三芳野神社

川越城本丸御殿の向かいには、わらべ唄「通りゃんせ(とおりゃんせ)」の舞台となった三芳野神社がある。
「太田道灌が川越城を築城した時、神社が天神曲輪に位置になってしまったが、時間を区切って参詣することが認められた。しかし、参詣の帰りは厳しい取り調べがあったため、通りゃんせは「行きはよいよい、帰りは怖い~」という歌詞になっている。なお、三芳野神社の看板には「とうりゃんせ」と書かれている。

三芳野神社とうりゃんせ
三芳野神社の創建は806~810年と伝わり、平安時代のはじめ。太田道灌は川越の鎮守とし、江戸時代は幕府の直営の社。

ここで川越観光は終わり。川越駅から電車に乗って東松山駅で降ります。目的地は松山城と吉見百穴です。東松山駅を降り、ひたすら歩き松山城へ向かう。その松山城は河越城を失った上杉朝定の居城でした。

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