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磐城平城(いわきたいらじょう)

福島県いわき市平にある磐城平城に登城した。史跡跡として整備されているのは丹後沢公園であり、近辺では野面積みの石垣がチラホラと見られる。(2010年10月登城)。戦国期、もともとは岩城氏の所領である飯野平だったが、鳥居忠政の入封により磐城平に改名。磐城平藩の居城として磐城平城が築城された。

丹後沢公園-城址丹後沢公園の入り口と案内図。

岩城と大館城(飯野平という所領)

磐城平城の西500mほど先に飯野八幡宮があるが、そこに1483年に岩城常隆が築城した大館城(飯野平城)があった(※諸説あり)。岩城氏の居城であり豊臣政権下では所領安堵されていた。しかし岩城貞隆のとき、兄・佐竹義宣に従い家康の上杉征伐(1600年)に参加しなかったため、関が原の戦いのあと1602年に飯野平の所領を没収された(佐竹家は減封だけ)。1615年、大坂夏の陣で本多正信に従軍し活躍したため、1616年、信濃中村1万石の大名として岩城家を再興させた。

鳥居忠政の入封で、新たに築城された磐城平城。磐城平に改名

1602年、岩城貞隆が飯野平の所領を没収されたあとに入封してきたのが、徳川家臣の鳥居忠政。関ヶ原の戦いの前哨戦である「伏見城攻防戦」で討死した鳥居元忠の戦功により、次男の鳥居忠政が陸奥磐城平10万石を与えらた。(磐城平藩主になる前は下総国矢作藩主)。もともと戦国期では「飯野平」と呼ばれていた地だが、「磐城平」に改めて磐城平藩を樹立した。(漢字を変えて岩城の名を残したのたようだ。)なお、磐城平城の別名は龍ヶ城(りゅうがじょう)。

入封時、鳥居忠政は大館城の城主となっていたが、1603年には徳川幕府の命令で東に位置に「磐城平城」の築城に着工。12年後の1615年に完成し、居城を移した。(磐城平城の建設地はもともと飯野八幡宮の跡地であり、現在の飯野八幡宮は移設された場所である)。仙台藩の伊達政宗をけん制する城であったようだ。

戊辰戦争では磐城平城が戦場となり、明治政府軍に敗れた磐城平藩家老が焼き払ったので焼失した。さらに廃藩置県により、磐城平藩は消滅。以降、城内の土地が払い下げとなった。

塗師櫓石垣-磐城平城遠景いわき駅からみた磐城平城・主郭の遠景。および、旅館城山 「平安荘」近辺に野面積みの石垣(塗師櫓石垣)が残されている。城内にある物見ヶ丘稲荷神社は私有地らしく封鎖されていた。城跡の大半は私有地化されているらしく、込み入った場所までは散策できない。地盤が緩んでいるらしく、補強されている場所がいくつかあった。この地は私有地といえど建築等の制限がされているようだ。

堀跡
私有地なのか、バリーケードによって堀跡には進入できない。幕末まで続いた一国一城なのにもうちょっと何とかならんのか。地元では「磐城平城跡の市民公園への移行」を目指す会が設立されたようだが、頑張ってほしいものだ。

丹後じい様が人柱。丹後沢公園

水堀跡-丹後沢公園丹後沢公園が専らの調査対象。木道を降りれば水堀跡まで行ける。本丸、二の丸、三の丸の間の内濠である。城に興味のない方はからすると、大きな水たまり。

磐城平城跡の市民公園築城時、「後沢」という沼の流れを堰き止めて内濠にしようと工事が進められたが、度々大雨で崩れてしまったという。占い師の助言で人柱を立てることとなり、磐城平藩・藩領である菅波村の「丹後」という95歳の老人が選ばれた。(人柱:神に捧げる生贄で、生きたまま土に埋めたり水中に沈めたりする風習)。現在では丹後沢公園として、市民の憩いの場となっている。丹後じい様の墓標とかないのかい?と疑問に思う。

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