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千葉城(亥鼻城)~千葉宗家の居城

千葉氏宗家の本拠地で居城であったのが千葉城(亥鼻城)。平常兼が下総国千葉郷に拠点をおいたことから千葉介を称し、千葉氏が始まる。その子、千葉常重が亥鼻城を築いて拠点とし、後の千葉氏の基礎を固めたため、千葉常重は2代目というよりは実質的に初代にあたる。そして常重の子である千葉常胤(平安末期~鎌倉前期)のときには千葉氏が最も栄えたという。

千葉氏の始まり

千葉氏の始まり千葉氏一族を遡ると桓武天皇から始まり、桓武平氏の祖である高望王を先祖に持つ。平良文(平将門の叔父)の孫である忠常という人物が初めて下総に本拠地を置き、大友城(千葉県香取郡東庄町)を構えた。※諸説あり。
下総に支配を置いた千葉氏の祖としては、平忠常が初代という見方になる。※なお、千葉氏が妙見信仰によって団結しているのは、高望王が嫡男の誕生を妙見菩薩に祈願したことから始まる。

千葉介を称した、平常兼(千葉氏の初代当主)

忠常のひ孫、平常兼が下総国千葉郷に拠点をおいたことから千葉介を称し、千葉氏の初代当主にあたる。拠点を大友城から大椎城(千葉市緑区大椎町)に移したが、村田川から国府(市原市国分寺台)までの交通の便がよかったからと推測される。

千葉城(亥鼻城)を居城とする本宗家の初代!千葉常重

亥鼻城平常兼の子、千葉常重が大椎城(おおじじょう)から池田郷亥鼻(千葉荘)に拠点を移したのが1126年で、千葉城(亥鼻城)を築城する。千葉城を居城とする千葉氏本宗家としては、千葉常重が初代千葉氏ということになる。都川(みやこがわ)が天然の要害で、鎌倉や品川に海上アクセスしやすい東京湾沿いを選んだと考えられている。

千葉城の縄張りは亥鼻山の亥鼻公園、千葉大学医学部、千葉大学医学部附属病院あたりまで広がっており、千葉常重の館跡の場所は不明らしい。(どうやら千葉市立郷土博物館の位置ではないようだ)。心霊スポットで有名な七天王塚が城内にあり、妙見信仰のシンボル、平将門の影武者7人の首塚、土塁の残存、墳墓などと言われているが、現存していることから何かしら千葉城と関係がありそうだ。

なお、亥鼻公園に建つこのお江戸風の天守閣は、千葉市立郷土博物館であり近代的な建築で昭和42年に開館した。中世の城とは何の関係もないが、ありがちな一国一城のイメージなのだろう。そもそも大きな石材を産出しないため、千葉の城はどこも土塁が基本である。そのため石垣の天守台が何ともミスマッチ。しかも、この模擬千葉城は免震構造で建物が地盤と絶縁されている。地震の時には地面と建物が最大60センチずれるのだとか。

天守台では定番中の定番、展望台からの眺望。千葉市は全国12番目の政令指定都市にまで発展した。千葉氏本家が拠点とした亥鼻の地がこうして発展したのは感無量だが、都市化された景観は味気ないのお~。

いのはな亭亥鼻公園の茶店・甘味処、いのはな亭。「名物 いのはな団子」を、ぜひご賞味ください。

千葉氏最強の人物、千葉常胤

千葉常胤は、千葉城(亥鼻城)を居城とする本宗家では2代目。平安末期~鎌倉前期の人物である。相馬御厨をめぐる領地問題を抱えるが、源頼朝に従ったことで20数カ所の所領を得て千葉氏の地位を盤石なものとする。

相馬御厨(そうまみくりや)とは

千葉県柏市、流山市、我孫子市、茨城県取手市、守谷市あたりにあった伊勢神宮の荘園。先代の千葉常重が伊勢神宮に寄進したが、国司の税金未納をきっかけに藤原親通や源義朝が領地を狙う。常重が捉えられ、その子である千葉常胤は税金を払い、源義朝と主従関係になりこれを回復する。しかし、平治の乱で義朝が討たれ平家政権になると、佐竹氏に奪い取られてしまう。これを奪回するために源頼朝に助力した。(佐竹氏は清和源氏であるが、治承・寿永の乱【源平合戦】においては、平家に助力していた。後には、頼朝に従い奥州合戦に加っている)

千葉市立郷土博物館前に建つ千葉常胤の銅像。初代千葉城城主の千葉常重ではなくて、2代目なんね。最も栄華を誇った人物がシンボルというわけね。

源頼朝に従った豪族と、討たれた豪族

千葉常胤と頼朝頼朝の挙兵に際して、千葉介を継いだ千葉常胤は一族を率いて従い、大きな戦功を上げた。1180年8月20日~10月6日における頼朝軍の経路。そして挙兵に味方した豪族とそうでない豪族の分布図。

千葉六党とは

源頼朝に従い奥州合戦(1189年)に参加した千葉常胤の子らは千葉六党と呼ばれ、庶家は治めた領地名から相馬氏、武石氏、大須賀氏、国分氏、東氏に分かれて発展した。(末っ子の日胤は六党に入っていない。園城寺に属した天台宗の僧であり、源頼朝の祈祷僧とされる。1180年に平家と戦い戦死している。千葉氏家臣に円城寺氏があるが、日胤の名を継いだとされる。)※園城寺(おんじょうじ):滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。別称三井寺(みいでら)。

千葉六党とは千葉六党の治めた各領地。

千葉氏一族の内乱

室町時代、1455年に享徳の乱が勃発すると、千葉氏庶流の馬加康胤は古河公方・足利成氏を支持し、千葉胤直・胤宣父子を討ち、千葉氏宗家は滅亡。(千葉城を攻めたのは、馬加康胤に加担した原胤房)

宗家の滅亡によって、馬加康胤の子孫である下総千葉氏と、胤賢(宗家・胤直の弟)の子孫である武蔵千葉氏 とに分かれる。勢力を誇っていた下総千葉氏が事実上、宗家を引き継ぎ、千葉城を拠点としていたが、戦乱の最中により本佐倉城へ拠点を移した。

戦国末期になると、1585年の「邦胤オナラ事件」をきっかけに後北条氏が千葉氏の家督を奪うが、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めが起きて後北条氏とともに千葉氏は滅亡する。

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千葉氏の祈願所、海上山 千葉寺

千葉寺の境内千葉城(亥鼻城)の近くにある千葉寺は、千葉氏の祈願所だった。宗派:真言宗豊山派。709年に行基が開基したと伝わり、本尊の十一面観世音菩薩を安置している。

千葉寺のイチョウ境内にある千葉寺のイチョウ(県指定天然記念物)は、709年に行基がもたらしたものと伝わる。樹高30m、目通り8mもあり、かつての鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きい。乳柱が垂れているが、これを煎じて飲むと母乳がよく出ると伝わっている。(実行しないでください)

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