DELLノート持って会津・鶴ヶ城へ
会津・鶴ヶ城(若松城)は、蘆名家の黒川城から始まり、伊達家、蒲生家、上杉、加藤・・と城主が代わっていきました。白虎隊など、幕末の松平家時代が一般的に知られていますね。「赤瓦葺き替えした鶴ヶ城(若松城跡)⇒天守閣内の博物館⇒麟閣 ⇒御薬園(会津松平氏庭園) ⇒会津武家屋敷」を巡ります。
赤瓦葺き替えした鶴ヶ城(若松城跡)
2011年8月28日、DELLノート持って会津・鶴ヶ城へ行ってきました。国の史跡としては、若松城跡と呼ばれますが、地元では鶴ヶ城と呼ばれるのが一般的。3番目に入城した蒲生氏郷の幼名が鶴千代だったので、鶴ヶ城と呼ばれたのだとか。これで日本100名城のうち、福島県の分はすべて観光制覇です。(※福島県にある100名城は、二本松城、白河小峰城、若松城の3城)。
戦国時代、鶴ヶ城のベースは蘆名氏の黒川城。続いて蘆名氏を滅ぼした伊達政宗の居城となりましたが、秀吉の奥州仕置によって召し上げられ、蒲生氏郷が入城。蒲生時代に近世城郭に改造し、城下町を整備、鶴ヶ城と改変されます。この辺の歴史は、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」を観ると楽しく学べます。「東北の覇者、蘆名を滅ぼしたことで、政宗が東北の天下をとりますがすでに時遅し。秀吉が小田原攻めで天下統一を目の前にしていた」というわけです。歴史ものは文章だと把握しにくいので、鶴ヶ城の歴代城主をさくっとまとめてみました。
黒川城(鶴ヶ城)年表
蘆名家 | 1384年 | 蘆名直盛が東黒川館(黒川城)を築く |
伊達家 | 1589 | 秀吉の惣無事令を無視した伊達政宗が蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅す。黒川城入城。 後に奥州仕置で秀吉に召し上げられる。 |
蒲生家 | 1590 | 秀吉家臣の蒲生氏郷入城。 |
1593 | 黒川城の改造と城下町の開発を進める。 七層の天守閣完成。 氏郷の幼名にちなみ鶴ヶ城と改名。 町割りを作り、地名を黒川から若松に改める。 千家茶道の流れをくむ、茶室麟閣を作る。 |
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上杉家 | 1598 | 上杉景勝が会津入り。120万石の大名に。 1601年には、関ヶ原の戦いで西軍だったため、米沢移封。(30万石へ減封) |
蒲生家 | 1601 | 蒲生氏郷の子、秀行が会津入り。 |
加藤家 | 1627 | 加藤嘉明が会津入り。 |
1639 | 加藤嘉明の子、明成が天守閣を5層に改築。(1611年に会津地震)。西出丸、北出丸を整備。 1643年、明成が会津騒動により改易。 |
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保科家 (松平家) |
1643~ | 三代将軍家光の弟、保科正之(会津松平家初代)が23万石で入封。 第3代・正容になってから松平を名乗る。葵の紋が使用され親藩に。 |
松平家 | 1862 | 松平容保が京都守護職に就任。 |
1868 | 容保が京都・鳥羽・伏見の戦いから会津へ戻る。 奥羽越列藩同盟(新政府に対抗する同盟)を成立。 会津戦争で1ヶ月籠城戦。鶴ヶ城開城。 |
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その後 | 1874 | しばらく放置後、鶴ヶ城取り壊し |
1965 | 天守閣再建工事落成 | |
1990 | 茶室麟閣を本丸内に移築 | |
2000 | 干し飯櫓・南走長屋を復元 | |
2004 | 天守閣内部をリニューアル | |
2011 | 天守閣屋根瓦を赤瓦に葺き替え。3月に完成。 |
鶴ヶ城といえば、幕末の松平家時代が一般的に知られていますね。白虎隊とか。
ちなみに、歴代城主の家紋と、保科正之の会津藩家訓の手ぬぐいを土産に買って帰りました。なかなか、しぶいですが、会津藩公家紋というのはツッコミどころですね。蘆名と伊達は戦国時代で、江戸幕府開府前でしょう・・。
(鶴ヶ城の城内拡大マップはこちら)
今回は西出丸、本丸エリアだけの観光で、二の丸や三の丸はまったく踏み込んでいません。なにせ、嫁様方の親族同伴でしたので自分のわがままは通せません。ちなみに、鶴ヶ城から数キロ先にある神指城(こうざしじょう)に行きたいと言ったら、嫁様と次のような会話となりました。
神指城、行きたい。
「どんな城?」
鶴ヶ城の城主だった上杉景勝が、対家康に備えて鶴ヶ城を上回る大規模な城を作ろうとしたんだよ。鶴ヶ城の2倍ほどらしい。普請に命じられたのは、愛の兜でイマイチ盛り上がらなかった直江兼続だよ。
「それは凄そう!」
でも、1600年に家康の上杉討伐が始まったから、3ヶ月で工事中断。だから未完。
「もともと、完成すらしてないの?」
初めから未完成。一部遺構はあるらしいが、今は野っぱら同然。
「・・・・絶対、却下」
というわけで、神指城は断念。
鶴ヶ城 西出丸から入城
鶴ヶ城では西出丸から入りました。西出丸近くには、鐘撞堂があります。
案内板によると、鐘撞堂は、時守を置いて昼夜時刻を城下に報じたお堂です。1868年の会津戦争では、ここに西軍(官軍)の砲火が集中し、時守が相次いて倒れたにも関わらず、開城の最後まで正確に時を報じ、味方の士気を鼓舞したそうです。
鐘撞堂から見た鶴ヶ城天守。
天守閣内の博物館へ
天守台の石垣は、私の好きな野面積み。野面積は自然の石を適切な場所に積み上げ、また隙間が確保できるので排水性に優れています。
全国には戦国時代の野面積みがそのまま残っている遺跡が多々ありますので、古人の知恵に驚きです。
鶴ヶ城天守閣内部は博物館です。復元天守ですからね。石垣の内部からスタートし、塩蔵から5層へと上っていきます。体験型お城ミュージアムで、「塩蔵 ⇒ 一層:資料で知る歴代藩主 ⇒ 2層:楽しみながら学ぶ江戸時代の会津 ⇒ 3層:錦絵で描く会津戊辰戦争 ⇒ 4層:城下の風物を紹介 ⇒ 5層:素晴らしい展望」となっています。塩蔵だけ一部当時の遺構が残っているそうです。
チケットはセット割引が利くので、「鶴ヶ城天守 + 茶室麟閣 + 御薬園の3施設共通入場券」で購入。2層では自由に振袖が手にとれるので、仮装して記念撮影ができます。それにしても、ぶ厚くて布団みたいな振袖だ。
天守から城内を観察します。こちらは武者走り。天守からみて裏側の武者走り。近くで観るとかなりの規模。
本丸の芝生エリア。イベントのため、白いテントが張られています。ただいま13時くらいですが、15時から小島よしおのショーが始まるようです。芝生の奥のほうにブルーシートが・・。2011年8月時点、本丸の御三階櫓も復元されるようです。
2000年に復元された南走長屋。
天守閣屋根瓦を、黒瓦から赤瓦に葺き替え。2011年3月に完成。明治時代に解体される以前は赤瓦だったようです。これまでの復元であった黒瓦は江戸時代前期のイメージでした。そして、現在は「往時の天守閣再現事業」として幕末期の姿に近づけるために赤瓦に葺き替えられました。
5層目の展望台フロアへ。5層目の展望台フロアにて、標高314mの飯盛山を眺めます。赤と白のポールのすぐ後ろです。白虎隊自刃の地ですね。以下、おまけ写真で、本丸から見る天守です。
写真右は、南走長屋側から眺める鶴ケ城。茶室麟閣に向かう途中に撮影。
麟閣
1990年、元の場所(本丸内)に移築復元された麟閣。戊辰戦争後は茶人森川善兵衛宅で保存されていました。天正19年、秀吉によって千利休が切腹させられます。利休の茶道が途絶えることを惜しんだ蒲生氏郷が、利休の子である少庵を会津に匿います。(なぜならば、氏郷は利休七哲。)麟閣は、少庵が会津で匿われていたときに「氏郷のために造った」と伝えられています。後に利休再興が叶い、表千家、裏千家、武者小路千家が現在に伝えられています。
麟閣。このあと御薬園へ行く。
御薬園(会津松平氏庭園)
御薬園は鶴ヶ城の東、徒歩15分の場所。会津松平氏庭園として国の名勝に指定されています。 室町時代、(鶴ヶ城が黒川城だった時代)、蘆名盛久がこの地に別荘を建てたのがこの庭園のはじまり。
現在の庭園は、1696年に大名型山水庭園に大改造したもの。2代藩主保科正経が園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容は朝鮮人参を試植する。ゆえに御薬園という。御茶屋御殿等は、戊辰戦争時、新政府軍の診療所となった。さっそく御茶屋御殿で一服しました。
写真左下は、庭園北西側にある重陽閣。元は昭和3年、会津若松を訪問した秩父宮妃勢津子殿下が宿泊された東山温泉新瀧旅館別館であり、ここに移築されています。誕生日が、重陽の節句の9月9日であることから、重陽閣と命名されています。
会津武家屋敷
会津武家屋敷にも行って来ました。会津藩家老西郷頼母邸であり、重要文化財の旧中畑陣屋、茶室、 藩米精米所、会津歴史資料館などが軒を連ねる。
坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺したといわれる、見廻組隊士・佐々木只三郎の墓がある。墓は和歌山県紀三井寺にあったが会津武家屋敷に移転。龍馬ファンによって壊される可能性があるからという噂も。
なお、福島県耶麻郡猪苗代町にある猪苗代城(別名:亀ヶ城)は、江戸時代に鶴ヶ城の出城となっていました。会津にとって重要な拠点と判断されていたため、徳川幕府が発布した「一国一城令」の例外対象となった珍しいケースです。
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※DELLは、「顧客満足度調査 2019-2020年 ノートPC部門2年連続1位」
出典-日経コンピュータ 2019年8月22日号 顧客満足度調査より